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余りよく観ていないので漠然と知っている限りで書く。
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漆田公一・著『え?まだ終わってなかったの!?長期人気連載マンガ50本ここまでのあらすじ』(KKベストセラーズ、
2007)の25ページから33ページまでのところで活字で解説してある。
└→『いきなり最終回』『“アフター・ストーリー”』など――漫画集、最終回、続編、あらすじ

 

 

 

Wikipedia ではあぶさんが1946年12月17日生まれとあるが、2009年4月5日号の『ビッグコミックオリジナル』での水島新司と秋山新監督の対談では水島氏があぶさんについて「61歳、今年の12月で62歳」と言っているので、1947年12月生まれになる。
└→年齢別、星一徹、岩田鉄五郎、あぶさん比較表

 

 

 

『ここまでのあらすじ』によるとあぶさんは1964年(昭和39年)、新潟北明高校の選手として本塁打を打つが、酒がばれて優勝取り消し。当時の北明の監督は岩田鉄五郎。東京メッツの岩田鉄五郎は1964当時、44歳だったはず。
8年後、1973年(昭和48年)1月15日、あぶさんは岩田鉄のスカウトでホークスに入団し、ホークスはパ・リーグ優勝するも、日本シリーズではV9の川上巨人によって日本一をはばまれた。
└→1972~73年I――スラッガー藤娘と白虎隊、ショーマン投手、あぶさん南海入団

 

 

 

あぶさんの高校時代とホークス入団の話は1年前、2008年4月5日号で楽天・野村監督と門田(門田博光か)との会話で回想されている。

 

 

 

1973年といえば『野球狂の詩』の「よれよれ18番」で岩田鉄五郎が50歳だった時期。
73年の日本シリーズでは番場蛮の分身魔球が雨の中、野村南海を相手に苦戦したが、それでも番場が何とか巨人を勝利に導いた(『侍ジャイアンツ』アニメ版)。

 

 

 

1973年ごろ、山田太郎たちが鷹丘中学3年の野球部に入ったとき、監督に就任したのも景浦(かげうら)だったが、アニメなどでは「影浦」とも表記されていた。

 

 

 

1978年(昭和53年)秋、南海ホークスはドラフトで土佐丸高校3年の犬飼小次郎を指名し、79年夏に獲得(当時は広瀬監督)。
└→『あぶさん』II

 

 

 

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2009年3/20前後