大リーグボールの問題点を修正するとこうなる 

注釋・魔球が常に1種類というのも力不足
その意味では吉田えり投手も決め球がナックルだけでは投手としては完全ではないだろう。分身魔球の例でわかるように打者に打ちにくいボールは捕手にも捕りづらく、広島のフェルナンデスもその例である。
捕手の目が慣れれば捕れる魔球であれば、打者にも同じように目のいい選手がいれば、理論上、打たれるのは時間の問題である。ボールが3つに分身する蜃気楼の魔球も、捕手が取る原理(地面にあるボールに影を観る)が花形、左門にばれた瞬間、終わりであった。
また、水平に急角度で曲がる変化球で、番場蛮が使ったハラキリ・シュートも、バントの構えで捕手の目からボールを隠すと、捕手が捕れないことが判明し、それで使用不能となった。

 

 

また、魔球はどの味方のどの捕手でも捕れるようにしておく必要がある。
もし、魔球を捕れる捕手が限られていれば、その捕手が缺場すれば魔球投手も出場不能、または魔球使用は不可能になる。

 

 

 

1991年に藤田巨人が番場蛮の甥を起用したが、かつて番場の魔球を受けていた八幡太郎平は当時、巨人OBとして客席で観戦しており、八幡は巨人に復帰していない。このとき、甥の番場が投げたハイ・ジャンプ、大回転、分身の3魔球を捕った捕手は当時の巨人の現役の捕手だった。
この3つの魔球は八幡が番場の甥に仕込んだもので、おそらく練習の段階でこの巨人の現役捕手が参加していた可能性があるが、八幡以外の捕手でも捕れれば、打者にも攻略されやすいのではなかろうか。

 

 

 

さらに、魔球を投げる投手が一人だけであれば、その投手のスタミナ切れを狙って降板させる手など、いくらでも考えられる。
当然、相手チームは捕手が捕りにくいところを振り逃げなどで狙うだろうし、合間の速球を打つ作戦もある。
結局、魔球を持つ投手も結局、普通の速球、既存の変化球多数、投手守備など基本的なところを鍛える必要がある。
また、魔球が一人の投手の專賣特許であるのも戦力としては不完全である。
大リーグボール1号がオズマに打たれたあとも、川上監督は1号の威力に頼ろうとしていたが、それを投げられるのは星飛雄馬だけで、飛雄馬はオズマに打たれて以来、1号使用を拒否していた。
大リーグボール3号も分身魔球も投げる投手がいなくなった時点で消え、巨人軍が短期間に勝ち数を稼ぐための線香花火のような「使い捨て」の魔球にすぎなかった。もっとも、投手自身の肉体を破壊する魔球であれば、威力はあっても、後続するどの投手も学ぼうとはしないだろう。

 

 

 

注釋・2種類を使い分ければいい
「縱変化の魔送球」はフォークボールが落ちたあとにホップしてもとの高さに戻るような変化球であり、漫画の描写では、魔送球が落下するところまではフォークボールと同じである。しかも、もとの高さに上がるのはUの字を描いている間にボールが姿を消して、あたかも直球が途中で消えたように見せるトリックのためであって、縱の魔送球だけで勝負するなら、フォークボールで充分。緒方勉のような目に見えるフォークで勝負していい。
むしろ、魔送球は一徹が3塁手時代に投げたように原型の横変化のままにして、番場蛮のハラキリ・シュートや犬飼知三郎の超対角線投法のように直接、バッターを打ち取るほうに使うべきだ。

 

 

 

柳田理科雄は電磁気力で消える魔球を実現させる案を『空想科学読本2』で書いており、そこでは飛雄馬は電磁場のかかった球場でフォークを投げ、電磁気力でボールがホップして土けむりを舞いあげることにしているが、フォークを投げられるのだったらそれをそのまま決め球に使えばいい。当然、球場に電磁場をかける必要はないし、土けむりを舞いあげる必要もない。

 

 

 

花形は一本足打法で2号を打ったとき、初めの直球が2球続いたのを見送っていたし、野村も第1球目の2号と2球目の遊び球を見送って、それから3球目の2号を帽子落とし作戦で打った。野村が最初の魔球を見送ったのはお祭りなのでファンに見せただけだろうと作中の金田正一が推測している。もし、花形が遊び球の段階で一本足や帽子落としをやったら、あるいは野村が2球目の遊び球のときに消える魔球かと想って帽子を落としていたら、いずれも凡退したか、あるいは作戦がばれたところである。つまり、花形と野村に大LB2号を打たれたのは飛雄馬が投げるたびに花形にも野村にも球種を見抜かれていたからである。

 

 

 

なぜなら、大LB2号の場合、ボールを消すために飛雄馬は右足(左投げの場合)を頭上近くまで上げる必要があり、それで飛雄馬が投げる前から、アナウンサーにも球種がバレバレだったのである。

 

 

 

飛雄馬の場合、なまじ、魔送球を「ボールを消す魔球」にしたせいで、フォームで球種を読まれないようにする努力がおろそかになっていたわけだ。初めからボールを消さずに落ちる変化球、水平に曲がる変化球、そして直球とスローボールなどの組み合わせで勝負していたら、フォームで球種を読まれずに打ち取れたはずだ。
└→各種大リーグボールの綜合的かつ現実的な使用法

 

 

 

ちなみに、番場蛮は速球時代にフォームで球種を読まれたが、その後は球種を読まれても打たれない方向でハイ・ジャンプ魔球、大回転魔球、分身魔球を開發した。

 

 

 

注釋・川上監督の策を飛雄馬は拒否
飛雄馬の大LB1号は68年9月18日に花形に打たれたあと、同年日本シリーズでの改良を経て69年の前半戦でオズマに打たれ、飛雄馬は球宴を辞退。川上監督が飛雄馬に「外す作戦」をさずけたのはそのあとで、当時、飛雄馬はすでに1号に見切りをつけて2号の練習に入っていた。アニメ『巨人の星』第125話「ズックのボール」によると、この時期、飛雄馬と伴は69年の「終戦記念日」を二軍で2号開發の特訓をしながら迎えていた。
川上監督は70年開幕戦での伴との対戦のときのように1号を当てにしていたようだが、その1号を投げられるのが飛雄馬だけだったのが問題であった。

 

 

 

注釋・「星のシュートは…威力を増している」
文庫第4巻「噴火の章」、225ページ。
└→星飛雄馬の球種の謎 

 

 

 

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2009年3/19