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2008年~2009年前後
「第2次大戦から戦後63年たち、戦争の記憶が風化しつつある」と言われるが、それは日本が63年間、戦争をしていないから、一番「最近」(これは重複表現)の戦争が63年前の第2次世界大戦だということである。
2008年~2009年前後
「第2次大戦から戦後63年たち、戦争の記憶が風化しつつある」と言われるが、それは日本が63年間、戦争をしていないから、一番「最近」(これは重複表現)の戦争が63年前の第2次世界大戦だということである。
戦争をしない時代が長ければ戦争の記憶は過去になり、数年に1度の割りで戦争をしている悲惨な国であれば戦争の記憶は消えない。戦争を語り継ぐのが戦争を起こさないためであるなら、これは矛盾である。
また、20世紀半ば以降の戦争であれば、朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラン・イラク戦争、湾岸戦争、イラク戦争、アフガンやユーゴスラビア、アフリカでも戦争はあった。
むしろ、日本での反戦思想が「日本1国が戦争をしなければいい」という考えに凝り固まっているのが問題であり、日本以外で戦争が続いても「知らん振り」になっているところが「戦争の記憶が風化」という感覚の原因になっているのかも知れない。
むしろ、日本での反戦思想が「日本1国が戦争をしなければいい」という考えに凝り固まっているのが問題であり、日本以外で戦争が続いても「知らん振り」になっているところが「戦争の記憶が風化」という感覚の原因になっているのかも知れない。
そもそも、戦争の記憶は年月がたてば風化するものではない。
記憶は経験者が覚えていることであるが、終戦後に生まれた世代にとっては戦後に学習した情報の記憶になる。
我々は始皇帝がやった戦争を経験してはいないが知識として知っているし、三国志の戦争、日本での蘇我・物部の戦争、白村江の戦い、壬申の乱、壇ノ浦の戦いも知っている。ヂンギス・カンも戦争をしていたし、川中島や関ヶ原の合戦、応仁の乱、戊辰戦争など、時代劇で繰り返されているから、歴史上の戦争の知識は受け継がれている。
記憶は経験者が覚えていることであるが、終戦後に生まれた世代にとっては戦後に学習した情報の記憶になる。
我々は始皇帝がやった戦争を経験してはいないが知識として知っているし、三国志の戦争、日本での蘇我・物部の戦争、白村江の戦い、壬申の乱、壇ノ浦の戦いも知っている。ヂンギス・カンも戦争をしていたし、川中島や関ヶ原の合戦、応仁の乱、戊辰戦争など、時代劇で繰り返されているから、歴史上の戦争の知識は受け継がれている。
これだけ戦争が繰り返され、知識が受け継がれながら、一向に戦争がなくならない理由は何か。
例えば、応仁の乱でも関が原でも、今では我々は戦争の悲惨さよりも、これらの前後で政治体制がどう変わったかということに重きを置いている(厳密に言えば、そういう教育を受けている)。
関が原の合戦という愚かなな戦争を防げなかった日本軍部が悪いという話は出てこないし、壇ノ浦に散った女性や子供に対し国家がどう賠償するかという話も出てこない。
例えば、応仁の乱でも関が原でも、今では我々は戦争の悲惨さよりも、これらの前後で政治体制がどう変わったかということに重きを置いている(厳密に言えば、そういう教育を受けている)。
関が原の合戦という愚かなな戦争を防げなかった日本軍部が悪いという話は出てこないし、壇ノ浦に散った女性や子供に対し国家がどう賠償するかという話も出てこない。
もし、これが歴史への見方として普通のものなら、日本で第2次世界大戦当時だけを「謝罪」、「反省」の材料にしているのは、歴史認識などではなく、運動家や裁判の原告団の思想だということになる。戦争の「悲惨さ」などは歴史観ではなく、ただの私的な感想文である。
逆に言えば、戦争を反省の材料に使って過去の教訓を未来に生かし、平和を実現するのが歴史学習と歴史教育であるなら、第2次大戦だけが戦争であるかのような反戦思想は全く意味がない。
壇ノ浦の合戦で起きた集団自決が軍の命令によるものか、さらに非戦闘員であった船の漕ぎ手を攻撃した源義経の戦争責任を考えるべきであろう。
壇ノ浦の合戦で起きた集団自決が軍の命令によるものか、さらに非戦闘員であった船の漕ぎ手を攻撃した源義経の戦争責任を考えるべきであろう。