○小林よしのり『挑戦的平和論・下巻』幻冬舎
巻末で小林よしのり氏がスタッフのインタビューに応える形で「マンガ論」を展開している。
ちなみに、「漫画」は「マンガ」、mangaとして内外で有名だが、
本来は「まんぐわ」、man-gwaであり、例えば北京語で読めばmanhuaである。

小林氏の漫画論では、手塚治虫の作品も含め、漫画界から「これは漫画ではない」と呼ばれる邪道の作品が漫画の主流になってきた歴史を紹介していた。
そして、漫画か劇画かの対立があったように見えたが、その劇画も結局は漫画だった。
確かにさいとう・たかをや白土三平の「劇画」も今見ると相当、デフォルメされていて、漫画にしか見えない。あれが当時は「デフォルメされていない絵に見えた」と小林氏は言い、そして、「何てことはない、それも漫画だった」と言う。
どうも、80年代後半のJ-Popにおける「アイドルとアーティスト」の不毛な対立に似ている気がする。

また、この本で重要なのは梶原スポ根漫画の位置づけである。
梶原漫画は荒唐無稽な野球漫画の象徴とされ、それに対するアンチテーゼとして水島新司やちばあきおが出てきた背景があるが、梶原一騎の『巨人の星』は福本和也の『黒い秘密兵器』のあとで、この本では『黒い~』で魔球(作中で「秘球」)が乱立したあとに現実路線を狙ったのが『巨人の星』だったという指摘をしている。
すると、水島新司やちばあきお、あるいはあだち充などは梶原作品へのアンチテーゼというより、梶原の路線の継承者と言えるかも知れない。

確かに野球漫画における魔球は『黒い秘密兵器』ですでに出尽くしており、『巨人の星』では、大リーグボール1号という「打者のバットにボールを当てて凡打に打ち取る」という魔球を最初に出しており、これは『黒い~』の秘球に比べれば、相当、地味である。

小林よしのり氏はオバケのQ太郎に関して、洋物のオバケで、不気味だったと言っている。一方、ドラえもんに関しては世代的に合わないので、余り熱心に観なかったらしい。
現在、『ドラえもん』の世界は日本中に知れ渡り、「アメリカは世界のジャイアンで日本はスネ夫だ」というように比喩表現に使われるが、小林よしのり氏はジャイアンとのび太とスネ夫の人間関係がよくわからないらしい。

小林よしのり氏は1953年生まれだから、野比のび太より11歳年上で、星飛雄馬より2~3歳年下、番場蛮や藤村甲子園より1歳年上である。
『ドラえもん』の連載が始まった1969年12月当時、小林氏は16歳くらい。開始当時、『ドラえもん』は小学館の学年別学習雑誌のうち、『四年生』以下の1970年1月号に掲載されたから、1969年度~70年度で小学校5年生以上だった世代は『ドラえもん』を知らないことになる。
『ドラえもん』読者第1号は1970年で10歳前後、1960年ごろに生まれた世代である。

補足1
1960年生まれの円道祥之(えんどうまさゆき)氏は『空想歴史読本』で西暦2112年のドラえもん誕生を取り上げただけで、本編や大長編での時間旅行を取り上げていない。
1961年生まれの柳田理科雄氏は『空想科学読本』でタケコプターを扱ったとき、ドラえもんの体重を間違えていた。
1962年生まれの松田聖子は2007年にゲスト声優として参加した際、自分も『ドラえもん』を観て育ったとコメントしており、この世代から下は「ドラえもん世代」である。
主題歌や声の出演で参加した渡辺美里(66年生まれ)、速水もこみち(84年生まれ)、相武紗季(85年生まれ)、絢香(87年生まれ)、堀北真希(88年生まれ)がそろって「ドラえもんファン」を自称している。


補足2
小林よしのりは『ビッグコミック』創刊当時の革新性に触れたあと、160ページで「今の『ビッグコミック』とは全然、違うからな。今は『水戸黄門のビッグコミック』だろ。もう枯れきってしまった、エネルギーがなくなってしまった、活力がなくなったやつのマンガが『ビッグコミック』。定番ものを読ませてちょんまげ(笑)みたいなのになっちゃってるわけよ」と言っている。
また、同ページで「今では、全部水戸黄門状態なんだよ。『どう?安心するでしょ?』みたいな話ばっかりになっちゃう」とも言っている。
これが出たのは西暦2005年であるから『水戸黄門』で里見浩太朗が光圀を演じるようになって3年経過していた時期である。『水戸黄門』は「枯れて」「エネルギーがなくなった」「安心させる」「定番」となっていたわけだ。
21世紀の『水戸黄門』で開拓精神があったのは石坂浩二の『水戸黄門』だけで、里見浩太朗が起用されてからはいかに東野英治郎・西村晃の時代に回帰するかがメインテーマになってしまった。