『ドラえもん』は1970年1月に始まった。厳密には1969年12月であるが、事実上、70年代初めにスタートした作品である。
小学館の『小学四年生』およびそれより下の学年(『幼稚園』など)の雑誌の1970年1月号に掲載された。
小学校4年生は10歳前後であるから、70年当時で10歳、つまり1960年ごろに生まれた世代が『ドラえもん』読者第1号であり、1950年代かそれより前に生まれた世代は、国民的作品『ドラえもん』を知らない「不幸な」人たちだと言っていい。

 

『ドラえもん』で野比のび太は10歳ないし11歳と設定されている。
原作では小学4年生(10歳前後)、アニメでは5年生(11歳前後)という設定のようだ。

 

したがって、『ドラえもん』連載時における10歳とは、のび太の年令と同じであり、1960年代以降に生まれた「『ドラえもん』の読者、視聴者たち」は、まさしく「のび太世代」である。
アニメのリメイク版ではのび太の母親の少女時代が松田聖子のデビュー後であり、その松田聖子も小さいころから『ドラえもん』を観て育った世代である。
すでに述べたように、のび太が1970年で10歳とすると1960年生まれだが、少しあとで「ぼくの生まれた日」で設定されたのび太の誕生日は1964年(昭和39年)8月7日となっている。

 

2007年8月17日放送の「ママのダイヤを盗み出せ」リメイク版に声でゲスト出演した松田聖子は1962年生まれで、1970年当時は8歳の誕生日の前後。『1リットルの涙』の原作者・木藤亜也氏と同い年である。
映画『ドラえもん・緑の巨人伝』に新米声優としてでた堀北真希は1988年生まれで、『のび太のパラレル西遊記』の公開年に生まれたが、『ドラえもん』の第1話では88年、のび太が就職できず、会社を設立する予定だった。
今の格差社会を見ると、あながち、のび太だけがドジとは言い切れない。

 

『ドラえもん』がスタートした70年代初め、藤子不二雄(当時はFとAの表示の区別はなかった)といえば『オバケのQ太郎』であり、『ドラえもん』も「あの『オバQ』を作った藤子作品」という位置づけであり、『ドラえもん』はのび太を助け、教育するより、第2のオバQという感じの正体不明、異形のキャラクターであり、ドラえもんがもたらすドタバタがギャグの中心であった。

 

今では「どこでもドア」や「タケコプター」が一般常識となっているが、「どこでもドア」の設定が不完全なときは、のび太の無責任な大ボラの後始末として、ドラえもんとのび太が旅行写真を偽造したときも、画像合成カメラを使っていた。
こんなもの、「どこでもドア」を使えば簡単であるし、合成写真は今のパソコンの技術でも可能である。

 

ドラえもんとのび太がのび助を会社に届けるために、大砲や地下鉄を用意したことも、初期の作品として観れば納得できる。

 

また、「タイムふろしき」も本編は、もともと、野比家の白黒テレビが古くなり、買い換える代わりにドラえもんが新しい白黒テレビに戻したことから始まる。これも「進化退化放射線源」を使えばワンセグやカラー液晶テレビにすることなど、造作もないはずだ。

 

『ドラえもん』は長寿作品であるが、それは逆説的なテーマを含んでいる。
それは、未来の文明の夢を描いているようでいながら、話の大半はのび太が便利な道具の使い方を誤り、失敗し、事態が悪化するオチになっている。
そこにあるのは夢をかなえるドラえもんに象徴される未来への夢ではなく、文明の進歩による人間の堕落である。

 

松田聖子は『ドラえもん』が始まった当時ののび太とほぼ同世代である。
そして、2009年3月のアニメで、宇宙空間でのび太たちと遭遇した宇宙飛行士・若田光一氏も1963年生まれで、初期ののび太(1960~、1962~、1964~)と同世代である。

 

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2009年3/18

 

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