『巨人の星』、サブタイトルと歴史の対応1【事項】 

「おれはやるぞ」(KC6、文庫4)
「ON砲と勝負」
「血染めの手で栄光をつかめ」
「名物千本ノック」

1967年秋、伴、花形、左門の日本高校野球代表チームはハワイで12勝1敗。花形には大リーグからスカウト数名から誘いが来たが、花形は拒否。
巨人は日本シリーズで阪急を相手に4勝2敗でV3。

「飛雄馬のまよい」
「初登板」

花形は藤本監督の阪神に入団し、東映の監督をしていた阪神OB・藤村富美男(~ふみお)の背番号10を受け継ぐ。
星飛雄馬は東映相手の二軍戦でプロ初勝利。牧場がつけていたスコアブックを見た一徹が青ざめる。
一徹によると、藤村富美男は沢村栄治を打ち込んだ元阪神の一員で、速球打ちにかけては日本一と言われた。
左門は別当監督の大洋へ入団。
1967年大晦日。除夜の鐘が108、ボールの縫い目も108あるということを一徹が明子に語る。

「新しい門出」(7、4)
「雪山の特訓」
「かたい決意」
「台湾キャンプ」(7~8、5)

1968年新春~台湾キャンプ。牧場が左門との会話でうっかり、口を滑らす。
星は金田から新変化球を編み出すよう助言されるが、紅白戦で圧勝して(長嶋に1安打許したのみで完封)、速球で通す方針に戻ってしまう。

「左門の予告ホームラン」(8、5)
「大リーグボール」
「なぞの特訓」
「連敗脱出」(9、5)
「大リーグボールの正体」(9、5~6)

1968年オープン戦~開幕。
参議院選挙と日本ダービーのあと、世間の話題は大LBに。

「オールスター戦開幕」(9、6)
「血まみれのバット」(9~10、6)
「男の一念」(10、6)
「飛雄馬対花形の死闘」

1968年のオールスター。花形の風船事件のあと、鉄球と鉄バットの特訓。
1968年9月18日。バッキーが王に危険球を投げ、荒川コーチと乱闘。バッキーと荒川は退場。権藤の投げた球が王の頭を直撃。長嶋が本塁打。
花形が1号を予告ホームラン。

「左門のなやみ」
「前進あるのみ」
「行動でしめせ」(10~11、6)

花形入院。川上V4、68年日本シリーズの相手は西本監督の阪急。

「ようこそカージナルス」(11、7)
「契約更改」
「野球人形」

1968年終わり、星飛雄馬対アームストロング・オズマ、初対決。
1969年正月、飛雄馬が長屋に戻り、明子と一緒に東京タワー近くのクラウンマンションへ引越し。
飛雄馬、花形、左門とオーロラ三人娘がボウリング大会に出場。司会は大橋巨泉。

「新しい時代」(12、7)
「父一徹の就任先」

アニメでは水原茂監督と星一徹が料亭で対面。中日は前年最下位。
ここで水原はシベリア抑留と日本への帰国、球界への復帰の記憶を語る。
星飛雄馬が日高美奈と初対面。宮崎キャンプでノックの鬼・内堀スカウトがON相手に殺人的ノックをする「百万ドルのショー」。

「最後のわがまま」
「青春とは?」
「美奈の死」

1969年宮崎キャンプで記録男・金田正一と8時半の男・宮田と星飛雄馬が二軍落ちを言い渡される。
宮崎キャンプ終了時まで。

「巨人の星・余話」

飛雄馬が隅田川中学2年B組だったころをかつての級友(旧友)が回想。中学時代は1965年ごろであろう。
└→星飛雄馬中学時代の月別年齢変遷
└→『巨人の星』、サブタイトルと歴史の対応3【事項】

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09年3/17