總論・弐 

「国家分裂」の悲劇は分裂を否定しようとする人たちによって引き起こされ、違う国であることを認めれば国際交流と言う形で国境が無意味なものに近くなる。
『デビルマン』悪魔の裁判官がジャンヌ・ダルクに言ったように、戦争をなくすための戦争、武装蜂起は矛盾であり、これは『おんな太閤記』でねね(高台院)が言った「戦をなくすための戦」につながる。安保闘争、学園紛争が暴力的である矛盾を見ればよくわかる。

中国政府は「国家、政権を轉覆させる」、または「祖国を分裂させる」運動を全面的に否定するが、たかが国家、政権ごとき轉覆したらしたで、どうということはないし、祖国が分裂したところで枠組みと呼び名が変わるだけの話だ。今の中国政府も国民党政府を轉覆させてできた。
祖国分裂などどこが悪いのか、理由がない。中国のせいでモンゴル人も祖国を分断されたし、チベットも西蔵自治区と青海省、四川省西部に分断されている。

中国国外のインドにチベット亡命政府があるようだが、朝鮮人も日本に併合されていたとき、朝鮮半島の外の上海に臨時政府を作っていたらしい。

現在のグローバル社会において、独立運動はその流れに反するものだが、逆に言えば、今の国がどう分裂したところで国際交流という形で人と物の往来は続く。異国に帰化したら死んだと同じという大黒屋光太夫の仲間たちの時代とは違う。
例えば、日本の北海道と沖縄が、今すぐ独立国家になっても、グローバル社会では大して変わりがない。
チベットが中国から独立しても、中国はモンゴルやベトナム、カザフ、キルギスなどと同様、一部、民族を共有する隣国として接すればいい。

そして民主主義は絶対ではない。『忍者武芸帳』の岩魚(いわな)の家族も『デビルマン』の牧村家も多数の「民意」によって濡れ衣を着せられて惨殺された。『はだしのゲン』の中岡家も「多数決」によって家を破壊された。
民衆を無条件に「善」とする思想や「権力対反権力」という構図は、いい加減、捨てたほうがいいと想う。

オリンピックでは負けそうな試合でも全力を尽くすことが尊ばれる。スポーツ漫画とSFアニメでは「男なら無駄とわかっても、負けるとわかっても戦わなければならないときがある」という教訓が出るし、武家政権時代(鎌倉時代~江戸時代)を描いた時代劇も似たような世界観である。
それが、「大東亜戦争」になると「負ける戦争をしたのは愚か」という論調が支配的だ。では、中国はアヘン戦争や日清戦争では愚かだったか、島原の乱を組織した甘く刺し牢は愚かだったか、三・一独立運動は愚かだったか、60年安保闘争は愚かだったか、考えてみるといい。

ローマ数字はネット上のブログと掲示板ではアルファベットのIを重ね、ワードとエクセルでは極力Ⅱ、Ⅲという文字。
ただし、ローマ数字の5に関しては便宜上、アルファベットのVで統一した。

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2009年3/16