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前号、『わしズム』28号で小林氏がアイヌについて書いたことについて、新党大地副代表の多原香里氏が抗議文を送ったようで、『わしズム』29号に全文が掲載され、おそらく小林よしのり氏が反論している。

 

┌┌『わしズム』小学館最終号、2009年3・25冬(その1)
│└(その2) 

次に小林氏はこう書いており、これには私も全面的に賛成だ。
(引用開始)
スラム街で悪い白人から肌の色で苛められている子供をわしが見たら、わしは「肌の色が色が黒くて何が悪いのか!」と思わず叫ぶだろう。多原香里氏は黒人でないからそう叫ばないのか? 「私は当事者ではない」と言って、見て見ぬふりをするのか?
(引用終わり、『わしズム』2009年2月發賣の冬号より)
小林氏は前の『わしズム』でも「アイヌと和人の外見の違いはなくなりつつある」「毛深いことなど気にする必要はない」という趣旨のことを言っており、これは差別ではない。この点に関して新党大地やアイヌが怒るのは小林氏の趣旨を意図的に逆に理解して批判しているように想える。

 

そもそも、小林氏はアイヌと和人を差別するのでなく、同じ日本人として平等に観ているからこそ、「アイヌ民族」が存在するという概念自体にも疑問を示しているのだ。
小林氏は「和人もアイヌも今や変わりはない」「同じ日本人」と言っており、これは「平等」「同質」を強調しているのであり、それは違いを強調する「差別」とは正反対に位置する考えである(注釋)。

 

こうなると、多原香里氏が和人なのかアイヌ民族なのか気になるところだが、もし多原氏がアイヌでない和人で、かつ「日本が北海道を侵略した」と認識しているのなら、和人である本人も侵略者の子孫ということになる。日本の「国」が「侵略」をしたということは当時の国民全体が「侵略」をしたということだからだ。

 

『おろしや国酔夢譚』によると、西暦1782年に伊勢から船出した大黒屋光太夫一行はロシア領の島に漂着、10年間ロシアに滞在したのち、1792年に北海道についたとき、彼らは蝦夷を「日本の土地」と認識していた。それでも光太夫たちは「日本」に戻った喜びは少なく、蝦夷がまるで最初に漂着したロシア「極東」の島のように想え、その土地が故郷と同じ国という気持は薄かったらしい。

 

光太夫がロシアにいたときは、ロシアがユーラシア各地をまさに「侵略」して領土をシベリア、サハリン、アリューシャン列島(今はアメリカ領)まで擴大させていた時期であった。アングロサクソンはアメリカ大陸に合衆国を作り、ロシアはトルコを挑發して戦争を仕掛けさせた。国と国は食うか食われるかの時代であり、今、ブームになっている日本の戦国時代も同じようなものだった。江戸時代以降の日本の「統一」はそういう戦乱の結果である。

 

光太夫の時代から1世紀を経た明治時代、北海道の「開拓」なるものに多くの和人の一般庶民、それも多くは囚人が参加したらしい。このことは『獅子の時代』でも描かれている。
└→『わしズム』09年冬号(その4)

 

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