「帰属意識」だけでいいならなぜ国会決議を求めたか
さて、多原氏が民族を「帰属意識」で決まるとしているのは正しいが、ではなぜこのようなことになったか。それは小林氏がアイヌ関係者に取材しようとしても拒否されたことによる。

 

もう一つ、小林氏が『わしズム』でアイヌを取り上げたのは、国会での決議などがあった以上、至極当然である。アイヌ民族が永田町の許可など考えず、自分たちでアイヌと名乗って誇りを持っていれば、問題はなかったはずだ。

 

しかるに。アイヌ関係者がアイヌ自らの「帰属意識」で満足せず、明らかにアイヌでない日本国政府による承認(=「お上のお墨付き」)などを求め、それが決議された。そうなると、政府が国民の代表である以上、日本国民全員がアイヌの存在と、それが先住民族であることを認めたと解釋される可能性がある。

 

日本は民主主義国家であるから、政府が何か見解を出したら、国民の中でそれを違う意見の人は「国民には政府と違う意見の人もいる」ということを内外に示す必要がある。

 

日本国民の一人である小林氏や、その他、「アイヌ民族先住民族」説に反対する人が異論を唱えるのは当然のことである。
逆に政府が「アイヌは先住民族ではない」と公式見解で認めたら、新党大地とアイヌの団体はメディアで反論を載せるだろう。逆もまた真なりである。

 

多原氏は『わしズム』への抗議文で「常識的に、民族のメンバーシップは、その民族に所属する者たちのあいだで決定されるべきと考えられています」と書いている。それはどうだが、それならなぜ、国会で認めてもらおうとしたのか。もし、国会で否定されたら(否定されずとも)おそらくアイヌ民族は国連のお墨付きを求めるだろう。政府や国際機関の「お墨付き」でアイヌ民族の存在とそれらが先住民族であると認めてもらおうとしている人たちのどこが「帰属意識」だけでアイヌを決定しているのだろうか。

 

アイヌ民族が彼らの民族性や先住を日本の国会決議で認めてもらったのは、民族をメンバーシップでなく、その外の和人の集団に認めてもらいたいという意識の表れであり、これは民族の認定が外部からの同意を必要とすることを意味している。しかも東京の国会の決議を金科玉条にするあたり、アイヌ民族は完全に日本国民としての権威主義に染まっていると言える。

 

今後、アイヌは自分たちがアイヌ民族であり、先住民族であることを民族内部の「帰属意識」ではなく「国会で決議された」という「葵の御紋」を理由にして、日本中、世界中に主張するだろう。

 

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ネットの記事などを観ると、どうもアイヌ側が国会決議を求めたのは、アイヌ語教育など文化保存のための支援が「国」から(つまり和人を含めた日本人全体から)ほしいということらしい。それなら全国で募金などを集めたり、ボランティアを募集しても同じことである。

 

結局、アイヌ側が求めているのは「先住民族」「独自の民族」という認識そのものより、アイヌ文化を守り廣めるための金銭面、施設面での支援が「国」からほしいということだろうが、アイヌが日本政府を「国」と認識しているならアイヌ人は自ら「日本国民としてのアイヌ」「アイヌ系日本人」だと認識していることになる。また、「国」とは「日本国民全体」のことであるから、アイヌは周りの和人から「民族であることの承認」と「金銭、物質面での支援」がほしいと言っているわけである。

 

ならば、アイヌ関係者も政府家も、そういうことを初めからはっきり言えばいいいのであって、「先住民族」かどうか、「アイヌ民族」が存在するか否かという抽象論になると、世の論争好きから討論を仕掛けられることは間違いない。
└→『わしズム』09年冬号(その3)

 

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2009年2/27 2月末