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鯉のぼりの歌の影響かどうかは知らないが、『巨人の星』と『野球狂の詩』で、両方とも、「たちばなかおる」という名前の人物が登場する。

 

○橘カオル
こちらは女性である。
講談社漫画文庫『巨人の星』第7巻(KC第12巻)収録の『巨人の星・余話』(目次では間に空白を入れて「巨人の星 余話」)に登場した。
星飛雄馬が隅田川中学校の2年B組にいたとき、飛雄馬、青島光彦と同じクラスにいた。当時、青島は勉強はできてもスポーツは苦手。
野球の紅白戦で飛雄馬が紅軍、橘は白軍の応援団長で、白軍は紅軍に6連敗。7試合目の最後に橘の推薦で青島が代打、バントでヒット。
のちに青島はスポーツ万能選手になった。

 

この『余話』で青島が言った台詞が文庫で書き換えられている。もとのKC第12巻193ページでは「体力なんて日やとい人夫くらいしか役に立たん。ぼくは役人になって日やとい人夫を雲の上からこきつかってやる」だった。これが文庫第7巻365ページでは「体力なんて日やとい労働者に必要なだけで役人になるぼくには必要ない。勉強さえできればいいんだ」になっていた。

 

飛雄馬が中学2年だったのはいつか。
少年野球編から「1958年度で飛雄馬10歳(小学4年)」とすると、飛雄馬が14歳の誕生日を経験した中2の時期は1962年春から1963年春まで。
高校野球編から「1966年度で飛雄馬16歳(高1)」とすると、中2だったのは1964年春から1965年春まで。
プロ野球編から「1967年度で飛雄馬16歳(高1)」とすると、中2だったのは1965年春から1966年春まで。

 

『野球狂の詩』(作品解説) 

○立花薫
こちらは男の野球選手で、東京メッツに入団。
講談社漫画文庫『野球狂の詩』第6巻、第31話「ルーキー15歳」に登場した。
立花薫はメッツに入った当時、火浦健と日下部了の間で投球練習をしており、唐部が江夏から本塁打を放ち、阪神の監督は金田正泰。1974年入団と想われる。1974年で15歳であれば1959年生まれである。
中日の谷沢(やざわ、左打者)に対し、マウンドの横を足で掘って腕をそこに通し、ストライクゾーンぎぎぎりの低めのボールを投げて打ち取った。これは野球史上、腕の通る場所が最も低いアンダースローであろう。
35年たって、渡辺俊介投手が世界一低いアンダースローで投げると言われる。

 

2010年の開幕戦、東京スーパースターズと千葉ロッテマリーンズの対戦では立花光(~ひかり)という高卒の少女投手が登板。

 

プロ野球・優勝チームの開幕オーダーbot@npbOP_bot

中日ドラゴンズ(1974年・与那嶺要) 4高木守道 8J.ウイリアム 3谷沢健一 9G.マーチン 7井上弘昭 5島谷金二 2木俣達彦 6広瀬宰 1星野仙一

午後10:27 · 2013年3月1日

 

@kyojitsurekishi

1974年、山田太郎が明訓高校に入学(卒業は21年後)。東京メッツに長島太郎、TO砲、火浦健、日下部が入団し、富樫も4年間の二軍暮らしの末に一軍入り(しかし富樫の入団当時TO砲がいたので実際は1年も経っていない)。大洋に海王神人が、阪神に王島大介が入団。

午後10:44 · 2013年3月1日

 

2018年05月06日(日)

🎏#鯉のぼり の歌詞に出てくる「たちばなかおる」は人名にもなる。
巨人の星」文庫7巻収録の「余話」に登場した少女「橘カオル」は、星飛雄馬が墨田川中学校2年B組にいた時の同級生。飛雄馬が1951年度生まれであれば、中2だったのは1965年4月~1966年3月の時期。1965年は川上巨人V9の1年目であった。

posted at 12:50:49

 

「野球狂の詩」文庫6巻「ルーキー15歳」に登場した「立花薫」は男で、東京メッツに入団した時、15歳の少年投手だった。劇中の時代は1974年。もし立花薫が1959年生まれであれば、原辰徳(1958~)より1歳年下だったか。作中、立花薫は広島の衣笠祥雄、中日の高木守道らに打たれていた。

posted at 12:53:32

 

2018年08月19日(日)

#野球狂の詩
東京メッツのの富樫と日下部(「ガッツ10番」)、「北の狼」火浦健、唐部と丘のTO砲、15歳ルーキー立花薫、大洋の海王神人、阪神の「南の虎」王島大介は1974年(昭和49年)一軍デビューで「同期」である。
#ドカベン〕〔@shonenmagazine1〕〔@Weekly_Champion

posted at 16:44:49

 

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2009年2/19