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快足、攻撃的な野球、土佐ナインvs番場蛮など

番場蛮と梶原&水島野球選手たち
<番場蛮vs坂田三吉>
『空想科学[漫画]読本』で柳田理科雄は『侍ジャイアンツ』のHJ魔球と大回転魔球を検証し、HJ魔球については「ボールが急角度で落ちるのを狙うなら、投手が跳び上がるよりマウンドから上に投げ上げたほうが効果的」という趣旨の分析をしており、これをやったのが犬飼知三郎のフライ投法(マウンテンボール)と坂田三吉による通天閣投法。
74年夏の大会で通天閣高校時代の坂田が通天閣打法を披露し、79年夏の大会では甲府学院との決勝戦で坂田が通天閣打法でランニングHR(英語では inside-the-park home run または leg home run)。

83年または85年の夏の甲子園で室戸学習塾時代の知三郎がフライ投法を披露。
そして95年から近鉄に入った坂田が、プロ2年目の96年に通天閣投法を披露した。

通天閣高校出身の坂田はハイ・ジャンプ魔球を打てそうである。アニメの『侍ジャイアンツ』ではヤクルトの眉月が上から急角度で落ちてくるボールを打つため、アッパースイングを練習して身体を痛めた。しかし、坂田三吉は通天閣打法でそれをいとも簡単にやってのけた。
坂田はのちに四国鉄犬に入団し、土佐丸ナインと合流。
逆に坂田の通天閣投法は番場に打てるだろうか。むしろ、アッパースイングよりはアニメの『侍ジャイアンツ』でジャックスが縱分身を打った逆手打法のほうが有効であろう。眉月もそれでHJ魔球を打てばよかったのである。

アニメの『侍ジャイアンツ』でウルフ・チーフが大回転魔球を打ったとき、非常に高い投飛となった。画面でボールが上からアップになったが、おそらく一番高く上がったとき、その周圍では遠くにスタンドが見えていた。ウルフは球威によってバックネット近くに飛ばされ、番場が捕球するまで動かず、アウトになったが、通天閣打球のようなものだから、ボールが上がっている間に走ることも可能だったはずだ。

<番場蛮vs賀間剛介>
賀間はバントしたボールを腕力でスタンドまで運んだ。彼なら星飛雄馬の大LB1号、3号、番場蛮のHJ魔球も敵ではないだろう。

<番場蛮vs星飛雄馬>
飛雄馬の巨人現役期間は67年秋~70年秋と76年春~79年前半、番場は原作でも70年秋ドラフト~74年秋なので完全に入れ替わりである。
特に『新巨人の星』の飛雄馬はノーコン剛速球や分身魔球、打撃が得意な点など、番場蛮と互角に戦える要素が増えている。
星のスクリュー・スピン・スライディングに対し、番場蛮は捨て身で応戦するだろう。

<番場蛮vsロメオ・南条>
ロメオは阪神の先輩・ウルフに似た攻撃的な選手であり、番場の闘争心に火をつけることは間違いない。右腕投手・星がチームの力でロメオを仕留めたように、番場も王や長嶋の助言を借りて、頭脳作戦でロメオと対戦することも考えられる。