Y!Japan Wikipedia


梶原&水島野球選手、假想対決

速水vs足利vs香車vs真田vs猿渡、快足対決
土佐丸vs土佐嵐、土佐丸野球vsサムライ野球
梶原作品と水島作品における快足の選手には速水譲次(元巨人)、足利速太(いわき東→…→東京超星)、真田一球(巨人学園→…→楽天)、香車(明訓)、猿渡(東京超星)がいる。
不知火守(白新→日ハム→四国鉄犬)がいたころの白新高校にも俊足の選手がいた。

パ・リーグではかつて阪急の福本、今では片岡易之がいる。
Y!Japan阪急 福本または片岡易之で検索

<時代背景>
それぞれの選手が高校、プロに在籍した時代背景を考える。
速水譲次は1967年秋(プロ野球編基準)の巨人軍入団テストで100メートル10秒5を記録し(本人はこれでもセーブしたとコメント)、伴宙太とともに巨人に補缺合格。このテストでは快足を星飛雄馬の魔送球で封じられ、飛雄馬が正式合格者だったが、年内に二軍紅白戦で星飛雄馬の「ばか正直事件」に助けられ、一軍に入り。
速水は翌68年の台湾キャンプに参加し、同年の9月18日、巨人×阪神戦の大乱闘の試合まで巨人在籍が記録されている。

足利速太は1976年ごろに福島県いわき市で廃坑があったことに関連して、その2年前の74年、第56回全国高校野球選手権大会(夏の甲子園)で緒方勉をサポートし、決勝進出。廃坑を迎えたいわき市の市民に希望を与えていた。いわき東は当時、高1だった山田世代のいた明訓高校に敗れ、2004年春から緒方と足利が東京スーパースターズに入団。

真田一球は元阪神・岩風五郎(74年引退)が監督を勤めた巨人学園に在籍、その後、高3のとき、85年(推定)の夏の甲子園で明訓と対戦。2005年以降は盟友・呉九郎とともに東北楽天イーグルスに入団した。

香車は山田世代が高2だった79年夏に明訓の監督が土井垣から太平に代わったあと、レギュラーに参加。秋には白新戦で岩鬼の特別代走で出塁し、俊足を生かしてホームイン。山田世代が高3だった85年(夏の甲子園準決勝から推定)夏に神奈川地区予選決勝、横浜球場でおこなわれた白新戦で捕球の際に負傷。その後は不明。

猿渡は2004年の東京超星成立のときに入団。土井垣監督が待ち望んだ選手であった。

<野球技術の比較>
足利と真田一球は快足で3塁ゴロを1塁セーフにしてしまうが、これは『巨人の星』の速水譲次に近い。速水はバントの1塁ゴロを快足とジャンプでヒットにする。
土佐丸ナインは足の速さより、スパイクを武器にした格闘技的な攻撃で強引にセーフにし、これはウルフ・チーフ、さらに『新巨人の星』の星飛雄馬に近い。
しかし、巨人学園の真田一球と白新高校の俊足の選手は、いずれも山田太郎の強肩でアウトになった。
なお、花形満は「屈辱の“夢の球宴”」で星飛雄馬が大LB1号を2回失投したとき、どちらも飛雄馬の投球モーション開始と同時に1塁から失踪し、キャッチャーをカバーした。

<假想対決、土佐丸野球と番場蛮の勝負>
犬飼小次郎と武蔵がいたころの土佐丸vs番場蛮がいたころの土佐嵐がもし戦ったら。
番場蛮が土佐嵐高校にいたのは原作で1970年春から秋、アニメで72年春から秋。
犬飼小次郎が土佐丸にいたのは「74年山田世代明訓入学基準」で72年春から75年夏まで、「79年土井垣プロ入り基準」では76年春から79年夏まで。

1972年の春から秋まで、明訓編初期の『ドカベン』の犬飼小次郎とアニメ『侍ジャイアンツ』の番場蛮はともに高校1年であった。
土佐丸と土佐嵐がもし、戦っていれば、壮絶な試合になっていただろう。
神奈川明訓の岩鬼は1974年夏の甲子園で土佐丸打線にボールをぶつけ、押し出し。これは番場蛮が高校時代に自滅した展開だったが、巨人プロ二軍では番場は17対1の喧嘩野球に臨み、この方法で相手の選手ことごとくを戦闘不能にして、勝利した。

室戸学習塾の犬飼知三郎(→西武→四国)は頭脳派であり、巨人学園の対戦相手でもコンピュータを使うチームが出現した。原作『侍ジャイアンツ』において明智という秀才が数学理論を使って番場蛮を苦しめた。

もし、番場蛮がいたころの巨人が西暦2004年以降の四国アイアンドッグスと対戦したら、番場対ウルフのサムライ野球、または番場対明智の頭脳野球の戦いが再現されたであろう。
しかし、もし、番場蛮が1970年代初めでなく、2000年代初めに高校生の世代であれば、地元の四国アイアンドッグスに入団し、犬飼3兄弟とチームメートになったであろう。

番場蛮のハラキリ・シュートは犬飼知三郎の(超)対角線投法に似ているし、ハイ・ジャンプ魔球をジャンプせずに叩く投げ上げる形で実現させたのが知三郎のマウンテンボール、そして坂田三吉の通天閣投法だ。
犬飼知三郎はプロ入り以降、山田とバッテリーを組んだ西武時代になって、ナックルを武器にするようになった。
知三郎の(超)対角線~もマウンテン~も番場蛮と坂田が別の名前の決め球として投げている。
したがって知三郎と番場と坂田が同じチームにいれば、知三郎の決め球はナックルだけで充分である。
└→番場蛮と梶原&水島野球選手たち

<真田と野村克也の奇縁>
真田一球が入団した楽天の監督は野村。真田が巨人学園にいたとき、対戦相手にチームそろって南海ホークスファンがいて、ナインが当時のホークスの選手名を「登録名」にしており、捕手は「野村」であった。

2009年のWBSに望む日本チームの名前は「サムライジャパン」である。