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『侍ジャイアンツ』が描く西暦1973年(2) 

講談社漫画文庫
『侍ジャイアンツ』7巻、8巻
『野球狂の詩』6巻、第32話「おれは長島だ!」
この2冊を資料(&史料)にした。

1974年、東京メッツに入った長島太郎は、1971年、72年、73年、74年と連続してメッツの入団テストを受けていた模様。

74年春、巨人×太平洋ライオンズのオープン戦第1段、ライオンズのハワードがハラキリ・シュートを打ち、番場の右足を直撃。番場蛮は右足を負傷。続くオープン戦に参加せず、空手の特訓。さすが、梶原一騎の作品である。

4月6日開幕。巨人の長嶋茂雄の現役最後のシーズン。
巨人×ヤクルトの試合で眉月がハワードの打法を試すが、番場は足でボールを蹴って封じた。
ピッチャー返しを蹴って防ぐのは星飛雄馬も1958年と1976年に2度やった。

阪神に太刀風兵庫が入団。剣の達人で、「介錯人殺し」という秘剣の傳承者。太刀風はそれを応用し、バットの先でボールを打ち、捕手の足や膝にぶつける打法で、巨人の捕手は負傷続き。八幡が兵庫の打撃の直後によけ、番場がボールを受け、ジャンプした太刀風に番場がジャンプで応じ、パンチのようなタッチでアウト。
太刀風は契約金を阪神に返し、球界から去った。

長島太郎が二軍でノックを受けていたときにオールスター。
オールスターは野村監督率いる全パ・リーグの3連勝で終わった。

このときのオールスターは『侍ジャイアンツ』で描写されている。
番場は阪神の田淵とバッテリーを組んでいたのだが、野村克也がハラキリ・シュートの弱点を見抜く。打者がバントの構えをして捕手の角度からボールが見えないようにすると、捕手はボールを捕れない。
これで番場は降板させられ、勢いに乗ったパ・リーグは3連勝。

番場は分身魔球を編み出したが、3連投がたたって、中日戦のあとにマウンド上で急死。

1974年10月12日、中日が20年ぶりにセ・リーグ優勝。
当時は与那嶺監督の時代だったが、1969年の初めに水原茂が星一徹に料亭で語った中日Vの夢が実現した(中日関係者が一徹と会った場面で、アニメでは水原監督も料亭に同席)。

10月14日、後楽園で巨人×中日の最終戦、長嶋茂雄の引退のスピーチ。
その日、国分寺球場ではメッツ×広島の最終戦。長島太郎が3番サードで出場し、3打席目のレフトスタンドへ入るホームラン。太郎はこの試合で引退を宣言。


なお、第29話「北の狼 南の虎」では74年、メッツがセ・リーグで優勝したことになっており、第30話「白球七五三」の藤子の台詞によると、さらに日本シリーズでメッツが優勝したようである。

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2009年2/12