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「太田貴子世代」と「森沢優世代」・解説太田貴子【人物】

もし、森沢優が普通に歌手デビューしたとしたら、どうなるか。
クリィミーマミの歌唱力は森沢優の天性のものと解釋できる。問題はデビューの時期である。
森沢優は1973年生まれとすると83年で10歳、以前から9歳、10歳の歌手は存在するが、森沢優は偶然、入手した魔法で67年生まれの、当時、16歳くらいの少女に変身し、83年デビュー組に参加した。
では、森沢優が魔法を入手しなかったら、歌手デビューする場合、いつデビューするのがよかったか。

 

森沢優はいつデビューすべきだったか
1973年に生まれた森沢優は、もし、普通に16~17歳で歌手デビューしていたら、時期的に昭和が平成に移ったとき、『イカ天』ブームの真っ最中にデビューしていた。

 

Wikipedia 冬の時代によると、89年から93年まで「アイドル冬の時代」だったらしい。
89~90年にアイドル歌手としてデビューするのはリスクが大きかった。
森沢優と同世代の田村英里子と田中陽子は、その「冬」の時代にデビューして、時代の「寒波」をもろにかぶった組である。CoCo や ribbon などの乙女塾の第1期生も同じ立場であった。

 

そこで、森沢優の場合、まず、ブームに乗って、1989年ごろにロック歌手またはバンドのボーカリストとしてデビューする手があった。

 

もう一つ、「冬の時代」を避けてアイドル歌手としてデビューする手があtった。
それには「冬の時代」の前か、あとか、2つの選擇肢以外にない。
つまり、「冬の時代」が来る前に「太田貴子世代」の仲間入りをして早めにデビューするか、「冬」が過ぎるのを待って、「安室・持田・浜崎世代」と同時期に、少し年上の20代でデビューするか、どちらかである。
言うまでもなく、森沢優は偶然の結果で「冬が来る前にデビュー」を選んだ。しかも、1983年、10歳のときのデビューであり、外見を16歳くらいにする魔法を使って可能になった。

 

もっとも、森沢優がフェザースターのピノピノから借りた魔法の機能は、優の外見をマミのそれにしただけで、落下傘の代用になったり、魔法の指輪を外す効果があったりしても、歌唱力には関与していない模様だ。10歳だった優は普段の姿で歌っても、マミに変身して歌っても、歌そのものは変化しなかった。
歌唱力は変わらないのだから、10歳の小学生歌手としても通用しただろう。ただ、本人が小学生・森沢優のままで藝能界に入ろうとしたかどうか疑問である。

 

それでは、冬の時代が始まる89年の直前まではどういう時期になるか。

 

84年から86年まで、森沢優が小学生のとき
84年では森沢優は11歳だが、この時期はクリィミーマミの活動が1年で終わったときで、状況は余り変わらない。だが、83年組と84年組では世間の評価が大きく違う。
太田貴子が『クリィミーマミ』と無関係の歌を歌い初め、本格的に歌手としての活動が軌道に乗った時期でもあり、印象として84年組に近かった。

 

85年には本田美奈子や浅香唯がデビューし、森沢優は小学6年生。このとき、荻野目洋子は「ダンシング・ヒーロー (Eat You Up)」が大ヒット。86年には長山洋子が「ヴィーナス」を出して、アイドルのロック路線が時代の流れになった。

 

86年の2月1日にはOVA『カーテンコール』が出ており、その年の3月で森沢優は小学校を卒業(1973年10月10日生まれとした場合)。
└→森沢優・補足

 

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