昨日の昼前、『仕事人V』最終回を再放送。
テレビ欄の表記上は『必殺仕事人』で、「終」の文字はない。

将軍家の人間が辻斬りをする話は『必殺仕事人』無印の鹿蔵編でもあった。
梅沢富美男(~とみお)があの女装で出演。
藤村富美男(~ふみお)は「ふみお」であるから、区別しないといけない。シナ語ではこういうことはない。「梅澤富美男」は Méizé Fùměinán、「藤村富美男」は Téngcūn Fùměinán である。

初登場のとき、下町の玉三郎は主水より先に標的を始末しようとし、返り討ちに遭うのだが、のちに『仕事人V激闘編』で「弐」として主水グループに協力するので、今から観ると意外な展開である。

最終的に仕事人が始末する。
順之助もこれで仕事をやめていればよかった。

今日の昼前からは『激闘編』に移るが、第1話でなく途中からの再放送のようだ。
「主水の上司、人質になる」であった。
仕事の的2名がすでに捕縛されて牢内にいる。その2名を主水が護送。主水は裏稼業関連で護送中の市松を逃がして牢屋見廻りに落とされたことがあり、また、裏の的を表の仕事に利用すると裏切りとされ、確か一度は鉄も主水を処刑しようとした。
最終的に罪人の仲間が筆頭同心・田中を人質にして罪人2名を連れ出し、宿を占据し、客たちと田中を人質にした。最終的に仕事人が始末し、最後の1名を役人が捕え、主水が後ろから近づいて、刀の取っ手を外し、中の刃で刺殺。
奉行所が弱いから犯罪がなくならず、だから仕事人も出てくるのだろう。
頼み人は家族を殺された少女。闇の会のシステムにより、頼み人が犠牲になる展開はなかった。代わりに宿の人質1名が犠牲に。

小傳馬町牢屋敷の表札にある「傳」は「傳」であった。

補足
「主水、下町の玉三郎と出会う」で加代が知り合ったむすめの祖父の墓と、順之助が受けた医者の試験の合格發表から、これが壬申の年とわかる。

江戸時代の壬申の年は1632年、1692年、1752年、1812年である。それぞれ家光、綱吉、家重、家斉の時代だ。

一方、将軍家の世継ぎが徳川宗孝で、調べても『仕事人V』のキャラクター名としての記述以外、見当たらないので、架空の人物か。
徳川吉宗の次に紀伊藩主となったのが徳川宗直で、そのむすめを正室にした細川宗孝がいるが、没年は家重の時代の丁卯の年。
家重の時代の壬申の年とは数年の違いがある。
また、壇ノ浦の合戦から600年後の1785年とは30年以上の開きがある。

1812年(文化9年)の場合、もし「文政の主水」が1820年で40歳だったとすると、1812年で32歳だったことになる。
一方、『仕事人V』が放送された1985年当時で、藤田まことが52歳だったので、1812年で主水が52歳とすると1760年で0歳、1761年で1歳である。葛飾北斎と1歳違いだ。
この場合、1820年で60歳。
また、主水の年齢が、演じた当時の藤田まことより5歳下とすると1765年で0歳、1820年で55歳。
『旋風編』の主水の年齢が、1986~87年当時の藤田まことの年齢と同じだとした場合、1819年で54歳だから、見事に一致する。

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