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『ドラえもん』という作品が「国民的」とされるヒット作になったのは1979年に始まったテレ朝版のアニメによるもので、実質、1980年代に人気が爆發したのだろう。
この80年代は初期の原作『ドラえもん』ではのび太が20代の大人になったはずの時期であり、21世紀初めのドラえもんの世界ではのび太の親が子供だった時代に相当する。
もちろん、80年代にのび太が10歳くらいの小学生だった作品も存在する。

『ドラえもん』は基本的に70年代前半に基本設定ができた作品であり、のび太の生年月日は「ぼくの生まれた日」で1964年8月7日と設定されている。1964年生まれであれば、阿部寛、薬師丸ひろ子がおり、また、野村義男、杉田かおる、三原順子ら『3年B組金八先生』の初代卒業生も大半が64年前後の生まれである。
ヤクルトの選手兼任監督だった古田敦也は1965年生まれで、のび太と1歳違うだけである。
この世代は1980年で中学生くらい、1985年ごろに成人に達したはずだ。

のび太の父・のび助は少年時代、太平洋戦争の疎開を経験しており、のび太の叔父は戦時中に見た象が殺された話を聴いている。もっともこれはドラえもんが秘密道具でインドに送還したものだった。
のび助は「地下鉄をつくっちゃえ」で1974年の12月25日当時、36歳となっており、1938年ごろの生まれである。

「ママのダイヤを盗み出せ」によると、のび太の母・玉子は1948年7月10日、7歳くらいの少女時代に『黄金バット』の紙芝居を鑑賞していた。

もっとも、2005年春以降のアニメでは、のび太は明らかに「平成生まれ」という設定にリセットされている。

2007年放送のアニメの「ママの~」リメイク版で玉子少女時代の設定が昭和50年代(1975~84)に変更され、「紙芝居」も「松田聖子のサイン会」に変更されている(松田聖子のデビューは昭和55年=西暦1980年、劇中に流れた「赤いスイートピー」は82年發賣)。
松田聖子はもともと、初期のび太と同世代だったが、リメイク作品ではのび太の母親が松田聖子より10歳ほど年下という設定になった。その松田聖子自身も「自分は『ドラえもん』で育った」とコメントしている。

「プロポーズ作戦」によれば、のび太の両親・のび助と玉子が婚約したのは1959年11月であり、この1959年は明仁氏と美智子氏の「ご成婚」の時期である。

「りっぱなパパになるぞ!」では大人になったのび太・静香夫妻が息子・ノビスケとマンションで生活する近未来が描かれたが、ノビスケの日記によるとこれは西暦2002年という設定だった。
ノビスケは少年・のび太と同じくらいの10歳程度の少年で、2002年で10歳とすれば、ノビスケは1992年生まれ。『1リットルの涙』や『神はサイコロを振らない』に出演した成海璃子と同世代であり、『金八』2007年版の生徒たちのほとんども92年前後の生まれである。
のび太と同世代の薬師丸ひろ子と息子・ノビスケと同世代の成海璃子が『1リットルの涙』で母とむすめの役だったことは、興味深い偶然である。

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09年1/2前後

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