一徹が夢の中で観ていた戦没者名簿では昭和20年6月の「インパール作戦戦死者名簿」に吉原の名があった。

伴宙太は「左門の恋」で中日の捕手としてマスクをかぶっていたが、この「正捕手への道」を観ると、まだテスト段階での出場。
ファウルを捕って負傷し、木俣に交代。中日とヤクルト、第15回公式戦なので、当時の試合日程を調べれば月日を特定できる。

このときの伴宙太は正捕手を目指して2年、3年と捕手を続けるように見えたが、実際の伴はこのシーズンで引退した。

アトムズとの試合中、水原と一徹が吉原正喜を回想。
一徹はビルマ戦線で1年、吉原と戦友だったらしい。その後、インパール戦線で吉原が没。

昭和13年、つまり1938年に吉原が巨人に入団。草薙球場で巨人が練習していた。
本編で花形の上司である藤本定義が回想シーンで巨人の監督。1938年と言えば日中戦争が始まった翌年。

その後、藤本監督が星一徹を吉原その他巨人ナインに紹介。
一徹はこれを30年前と言っており、1970年当時から30年前は1940年。
原作第1話で一徹入団は1942年。
アニメ第177話では作中で、すでに「トレーニング」や「ストライク」「サード」などが「特訓」「いい球」「3塁手」に言い換られえる時代になっていたとされている。真珠湾攻撃の翌年からそうだったのか。

一徹の公式戦初出場が決まったとき(確か、出場の前日)、赤紙が来た。そして吉原とともにビルマへ。
吉原は1941年、真珠湾の年を最後に退団。
このあたりが少し、ずれている。

吉原は一徹に野球を丁寧に教えたらしいが、原作では一徹は1942年入団、Wikipedia で吉原は1941年に退団したことになっており、入団前年に一徹が練習に参加していなければ、一徹が入団したとき、吉原はすでに巨人の選手でなかったことになる。

2010年9月8日から14日までGyaO!で配信。
伴が出た試合は8対2に中日勝利。伴はファウルフライをキャッチしてフェンスに激突して負傷。木俣に交代。医務室で一徹から吉原の話を聴いた。

次の第178話「生命を投げる魔球」の予告でナレーションが「阪神の花形は一人、物思いに沈んでいた。消える魔球に感じられる破滅のにおいは一体何なのかと」という趣旨だったが、「大リーグボール3号」は「消える魔球」ではない。



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