タイ反政府運動の集団が空港を占据、多くの外国人が足止めを食らった。今では政権が崩壊して封鎖は解除された様子。
とんだとばっちりであるが、タイの経済損失も大きく、こういう運動はそれがもたらす内外への影響をまったく考えないようだ。

日本でも成田空港問題に関して成田闘争があった。
『巨人の星』の時代は国際空港は羽田だったが、『新巨人の星』終盤、『ドカベン』では山田高2春~夏予選の時期に当たる1978年に成田国際空港ができた。
こういう空港を使用不能にする運動は、部外者にとっては生活を面倒にするだけである。
日本で観られなくなった形の運動が、東南アジアで起きて、日本人がそれを目の当たりにした形となった。
運動は所詮、テロの一種である。
社会や敵対勢力に不満があったら、我々庶民に影響しないようによそでやってほしい、というのが庶民の正直な感想だろう。
実はこれは市民運動やテロだけでなく、戦争についても言える。

そもそも、反体制運動はそれだけで戦争である。
だから「反戦運動」も「反戦闘争」であり、「戦争に反対する戦争」という矛盾を秘めている。
安保闘争を観ると運動が戦争だとわかる。
日米安保に否定的な勢力が反戦派と思いきや、彼らの行動が戦争そのものである矛盾はそこにある。

アニメの『ドカベン』で山田世代高2夏の予選をやっており、話の中で殿馬と小林真司の乗った飛行機がハイジャックされていた。明訓が雲竜に勝ったあと、作中のニュースで「日本人客が多いので、飛行機は成田空港に行く可能性がある」という台詞があった。
ネットで調べると、成田空港は横浜球場と同じく、1978年から使用されるようになった。
この夏の予選の前、春の選抜で岩鬼が円広志の「夢想花」の一部を替え歌にして歌っていたので、時代設定が
1978年以降であることはわかる。

『巨人の星』で台湾キャンプやオズマの帰国などで描かれた飛行場は羽田であろう。“ビッグ”ビル・サンダーやロメオ・南条が来日したとき、降り立った空港も羽田空港と想われる。
飛雄馬、一徹、伴がハワイに向かった78年正月は、丁度、成田空港が使われるようになる直前で、飛雄馬たちは羽田を使ったのだろう。

アニメ『新巨人の星II』の終盤で78年のシーズン終了後、星飛雄馬は大リーグに移籍したらしいが、そのときは成田空港を使ったのではなかろうか。

2008年はペリー(1794~1858)没後150周年であった。
安藤廣重(1797~1858)、島津斉彬(1809~1858)、徳川家定(1824~1858)も没後150周年である。

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2008年12/3


参照
2008年12月