高橋留美子・作『うる星やつら』は1978年から1987年まで『週刊少年サンデー』に連載された。

小学館文庫2巻(1998年9月10日初版)では、『週刊少年サンデー』の1979年19号から1980年24号までに掲載された作品を収録。
サブタイトルの前にあるPART-~の次の数字はあくまで、単行本1冊の中の番号であり、作品全体の累計話数ではない。
文庫2巻のPART-1は「幸せの黄色いリボン」。第2巻1冊で17話収録。

文庫2巻PART-6「父よあなたは強かった」
諸星あたる、クラマとカラス天狗の集団、そしてラムが1173年の鞍馬山に向かった。

文庫2巻PART-9「星座はめぐる」、PART-10「春のうららの落第教室」
この作品における日常の舞台となっている「現代」を描いた「星座はめぐる」で、しのぶが『てんびん座1980年星占い』という本を観ている。ページ数が少ない小冊子のようなもので、雑誌の附録のようなものと想われる。

また、「春のうららの落第教室」で諸星あたる、面堂、しのぶらのクラスは2年4組とわかる。

1980年度で高校2年とすれば、1980年4/2~81年4/1で17歳。彼らは1963年4/2~1964年4/1に生まれた。
面堂終太郎は4月1日生まれなので1964年生まれであろう。
しのぶは天秤座で、彼女が観ていた本では9月23日から10月23日。しのぶは1963年秋の生まれ。
面堂と同じく、あたるも牡羊座(3/21~4/20)なので、1963年4/2~20または1964年3/21~4/1に生まれたことになる。

ところが、諸星あたるの生まれた日の細かい設定を調べると、矛盾が生じる。
「4月13日の金曜日生まれ」という設定のとおりだとすると、諸星あたるは1962年生まれ。
1980年では18歳になる。17歳だったのは1979年である。『1リットルの涙』の作者・木藤亜也氏と同学年で、1982年の誕生日で20歳になったはずだ。
Wikipedia 1962年月曜日から始まる平年
└→諸星あたるは何年生まれか

文庫2巻PART-12「君まてども…」、PART-13「涙の日記」
この2話で70年代のアイドルをモデルにしたような少女とその名前が登場する。
あたるのクラスの女生徒に久美子、百恵、宏美、真子がおり、久美子は大場久美子に似ており、百恵は山口百恵に似ていた。
名前だけ出てきた宏美と真子は、それぞれ岩崎宏美と石野真子をモデルにした名前だろう。

あたるの日記によると、4月16日(水)佛滅、あたるがめずらしく早起き。ここですでに面堂終太郎はクラスにいるので、途中で年度が変わっていないとすれば、面堂が友引高校に轉校したのは1980年の4月前半。高校2年の1学期開始の直後に轉校したと解釋できる。

1980年火曜日から始まる閏年。4月16日は確かに水曜日。
4月16日が水曜日になる年には、ほかに水曜から始まる平年もあり、1986年がそれに相当する。

「涙の日記」の話で「プレイバックPart2」の有名な歌詞の一部が出てくる。この曲は1978年5月にヒットしたので、作中の話はそれから2年近くたっている。

ところで、「涙の日記」は『1リットルの涙』のフジテレビHP(今は閉鎖)で使われた英語のタイトルの一つ、A Diary with Tears と同義である(今では One Litter Of Tears が普通)。
ちなみに、木藤亜也氏は1962年生まれ(年度も同じ)、薬師丸ひろ子は1964年生まれで(年度も同じ)ある。

それから、秋篠宮文仁親王は初代3年B組より1年後輩になる。


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2008年12/2