年齢は誕生日後の満年齢。一部、数え年をカッコして追加した。
「よれよれ18番」で紹介された経歴では、数え年を採用している可能性あり。

 

 

1923年(大正12年)誕生
1924年(大正13年)1歳
1925年(大正14年)2歳
1926年(大15、昭元)3歳
1927年(昭和2年)4歳
1928年(昭和3年)5歳
1929年(昭和4年)6歳
1930年(昭和5年)7歳
1931年(昭和6年)8歳
1932年(昭和7年)9歳
1933年(昭和8年)10歳
1934年(昭和9年)11歳
1935年(昭和10年)12歳
1936年(昭和11年)13歳
1937年(昭和12年)14歳→日中戦争開始。
1938年(昭和13年)15歳(数え年16歳)→「鉄五郎のバラード」では「18歳」で甲子園出場。
1939年(昭和14年)16歳→欧洲で第2次大戦開始。
1940年(昭和15年)17歳(数え年18歳)→第26回全国中等学校体育競技総力大会で優勝。
1941年(昭和16年)18歳→真珠湾攻撃で日米開戦。
1942年(昭和17年)19歳(数え年20歳)→出征。
1943年(昭和18年)20歳
1944年(昭和19年)21歳
1945年(昭和20年)22歳→「終戦」で帰国。
1946年(昭和21年)23歳→東京倶楽部入団

 

 

1923年、関東大震災。BAR来夢来人消滅。伊集院忍と花村紅緒結婚。星一徹と川上哲治と山口淑子(=李香蘭)と桜子(『純情きらり』)は満3歳、数え年4歳。

 

 

1938年(昭和13年)から審判の判定は「いいタマ!打者ダメ!」
岩田鉄五郎、当馬可奈子と駆け落ち未遂。

 

 

「鉄五郎のバラード」における過去の舞台は「昭和13年」で「鉄五郎18歳」となっているが、「よれよれ18番」で鉄五郎が1923年(大正12年)生まれという設定にしたがえば、1938年(昭和13年)当時、鉄五郎は15歳(数え年で16歳)であり、数え年18歳(満17歳)になったのは1940年、満18歳になったのは1941年で、このとき、甲子園大会は春の選抜のみ。
もし、「鉄五郎のバラード」の場合のみ、岩田鉄五郎が1920年(大正9年)生まれであれば、1938年で満18歳、あるいは、「鉄五郎のバラード」の場合のみ、1921年(大正10年)生まれであれば1938年で数え年18歳(満17歳)ということもありうる。
└→春と夏の甲子園一覧表

 

 

1946年12月7日、景浦安武(かげうらやすたけ)誕生。
→伊集院光は「景浦」を読めなかったらしい。「影」なら「かげ」と読めるが「景」を「かげ」と読むのは普通のことばではないので、振りがななしで読める名前ではない。

 

 

1947年(昭和22年)24歳→24歳で背番号18をもらう?
→東京倶楽部入団は昭和21年だが、それを説明する絵で岩田が背番号18をもらったのが「24歳」となっており、岩田鉄五郎が24歳だったのは昭和22~23年(西暦1947~48年)である(「よれよれ18番」)。
→初勝利のとき、主審が秀吉。戦争は終わっていたはずなのに、判定は、まだ「いいタマ!打者ダメ!」

II

 

 

前後一覧
08年11月末