○江川卓(えがわすぐる、Egawa Suguru)
『ドカベン』や『新巨人の星』など、70年代の野球漫画の時代設定を考える上で、欠かせない人物。
『ドカベン』や『新巨人の星』など、70年代の野球漫画の時代設定を考える上で、欠かせない人物。
江川卓は番場蛮(1954~1974、原作)や藤村甲子園(1954~)より1年後輩である。
江川卓は1971年度で16歳、そのときに栃木県の作新学院高校に入学したと想われる。
作新学院在学は1971年度から73年度、1971年4月から74年3月(72年度末)まで。
江川卓は1971年度で16歳、そのときに栃木県の作新学院高校に入学したと想われる。
作新学院在学は1971年度から73年度、1971年4月から74年3月(72年度末)まで。
各種野球漫画の選手と比較すると、星飛雄馬の左腕時代においてプロ最終年(プロ入りしていなければ大学1年)だった1970年、番場蛮は高校1年で。江川卓は1970年度で中3。
原作の番場蛮は71年から74年のシーズンまで、プロで投げていた。江川は71年春から高校1年。
一方、アニメの番場蛮は1971年度で中学3年、72年度で高校1年、73年のシーズンがプロ1年目だった。
原作の番場蛮は71年から74年のシーズンまで、プロで投げていた。江川は71年春から高校1年。
一方、アニメの番場蛮は1971年度で中学3年、72年度で高校1年、73年のシーズンがプロ1年目だった。
したがって、江川卓は年齢、学年で「原作の番場蛮」と「アニメの番場蛮」の中間に位置する。
『野球狂の詩』と『ドカベン』中学野球編
水島新司の作品では江川は本人の名前だけでなく、学校の名前としても採用されている。
まず、『野球狂の詩』ではショーマン投手・千藤光の母校として江川一高校が登場(文庫3巻「ショーマン投手」)。この学校は1973年の第55回全国高等学校選手権大会(夏の甲子園)で優勝するのだが、なぜが、千藤光がプロ入り後、1年目で出場したオールスターも73年に開催されていた。まるで、ドラえもんの「逆時計」でも使ったかのようである(このあたりは富樫平八郎、日下部了も同じ)。
水島新司の作品では江川は本人の名前だけでなく、学校の名前としても採用されている。
まず、『野球狂の詩』ではショーマン投手・千藤光の母校として江川一高校が登場(文庫3巻「ショーマン投手」)。この学校は1973年の第55回全国高等学校選手権大会(夏の甲子園)で優勝するのだが、なぜが、千藤光がプロ入り後、1年目で出場したオールスターも73年に開催されていた。まるで、ドラえもんの「逆時計」でも使ったかのようである(このあたりは富樫平八郎、日下部了も同じ)。
1973年秋のドラフトで阪急が江川を指名したが、江川は入団を拒否して法政大学に進学。このときのドラフトでメッツは当時、無名だった唐部と丘をそれぞれ1位と2位で指名し、「TO砲」とする(文庫4巻「恐怖のTO砲」)。
Wikipedia 江川事件
└→『野球狂の詩』で描く西暦1973年のドラフト
Wikipedia 江川事件
└→『野球狂の詩』で描く西暦1973年のドラフト
メッツの親会社は江川に巨額の契約金を拂うことはできず、TOを2人のスター選手として賣り出し、「TOヌードル」で収益を上げ、金銭的に余裕ができてから江川を指名する計算だった。
しかし、メッツが実際に74年秋のドラフトで1位指名したのは江川ではなく、新潟西高校から早稲田大学に進学していた日下部了であった(文庫4巻「ガッツ10番」)。メッツが江川を指名したかどうかは不明。
しかし、メッツが実際に74年秋のドラフトで1位指名したのは江川ではなく、新潟西高校から早稲田大学に進学していた日下部了であった(文庫4巻「ガッツ10番」)。メッツが江川を指名したかどうかは不明。
『ドカベン』では山田世代が中学3年だったとき、鷹丘中学と東郷学園の試合で、小林真司の速球を観た大河内が「江川二美夫氏を父にもった作新学院の江川卓くんと同じ球威だね」とコメント(文庫5巻)。これは原作では1973年度(74年3月まで)である。
江川卓より1歳年下の藤村甲子園は東大野球部に所属していたが、大学を中退し、1974年、20歳のときに阪神タイガースの一員として長嶋茂雄と対戦した(『男どアホウ甲子園』最終回)。
江川卓は1974年度から77年度まで、つまり、74年4月から78年3月まで法政大学に在学。この74年春に山田世代が明訓高校に入学した(文庫7巻)。
江川卓は1974年度から77年度まで、つまり、74年4月から78年3月まで法政大学に在学。この74年春に山田世代が明訓高校に入学した(文庫7巻)。
『ドカベン』明訓編
山田世代が高校1年で夏の甲子園・第56回全国高等学校野球選手権大会に初出場したのは、江川卓が法政大学に在学していたときであった。
夏の神奈川地区予選、明訓×丸岡で岩鬼は「この一球、法政大学にはいった江川卓くんにささげる」と言って投げていた。準決勝の対土佐丸戦で後頭部を負傷した里中が降板、徳川監督によって岩鬼がリリーフに立ち、投球練習で法政の江川のまねをして投げた。また、この試合が終わったあと、明訓といわき東の決勝戦が雨で1日、延期となったが、そのとき、作中の解説で江川が「作新学院の江川卓投手(現法大)」として紹介されていた(文庫11巻)。これはいわき(磐城)市の廃坑で学友が離れ離れになった時代を背景にしており、いわき市における廃坑は1976年のことである。
└→山田世代高1夏の甲子園II
山田世代が高校1年で夏の甲子園・第56回全国高等学校野球選手権大会に初出場したのは、江川卓が法政大学に在学していたときであった。
夏の神奈川地区予選、明訓×丸岡で岩鬼は「この一球、法政大学にはいった江川卓くんにささげる」と言って投げていた。準決勝の対土佐丸戦で後頭部を負傷した里中が降板、徳川監督によって岩鬼がリリーフに立ち、投球練習で法政の江川のまねをして投げた。また、この試合が終わったあと、明訓といわき東の決勝戦が雨で1日、延期となったが、そのとき、作中の解説で江川が「作新学院の江川卓投手(現法大)」として紹介されていた(文庫11巻)。これはいわき(磐城)市の廃坑で学友が離れ離れになった時代を背景にしており、いわき市における廃坑は1976年のことである。
└→山田世代高1夏の甲子園II
山田世代が高1の3学期から高2の1学期に進んだ春の選抜、栃木代表で江川学院が出場した。
この江川学院の中二美夫(あたるふみお)投手は山田太郎を5打席連続で敬遠した(少年チャンピオン・コミックス第28~29巻あたり)。
アニメで決勝の対土佐丸戦での岩鬼が言った台詞(または歌った歌)から、この当時は円広志の「夢想花」がヒットした1978年以降であり(第125話「スーパースター男岩鬼!一球入魂」)、また、『スターどっきり㊙報告』(76~89年)が始まったあとのようである(第129話「春夏連覇の円舞曲!秘打『別れ』)。
└→江川卓II【人物】
この江川学院の中二美夫(あたるふみお)投手は山田太郎を5打席連続で敬遠した(少年チャンピオン・コミックス第28~29巻あたり)。
アニメで決勝の対土佐丸戦での岩鬼が言った台詞(または歌った歌)から、この当時は円広志の「夢想花」がヒットした1978年以降であり(第125話「スーパースター男岩鬼!一球入魂」)、また、『スターどっきり㊙報告』(76~89年)が始まったあとのようである(第129話「春夏連覇の円舞曲!秘打『別れ』)。
└→江川卓II【人物】
関連語句
江川 江川卓 江川卓I 【人物】
参照
『野球狂の詩』における時間停滞、逆流年表
江川卓、法政大(ドカベン)→巨人(大甲子園)
スポーツ全般、梶原vs水島他(2008年11月)
2008年11月
江川 江川卓 江川卓I 【人物】
参照
『野球狂の詩』における時間停滞、逆流年表
江川卓、法政大(ドカベン)→巨人(大甲子園)
スポーツ全般、梶原vs水島他(2008年11月)
2008年11月