テレビで映画『戦国自衛隊』が放送されたとき、荻昌弘は「時代劇に関して時代考証に詳しい人から批判がくることが多いが、このように絶対に嘘だとわかる作品はかえってスッキリするものだ」と言ったように想う。

大河ドラマで『山河燃ゆ』、『いのち』など、戦時中や「終戦」戦後を描いた作品では視聴者から疑問の声が出るらしい。戦時中、中国を「シナ」と読んでいたのにドラマで戦争中の人が「中国」と呼んでいたのは変という声もあり、これに対し、当時は中華民国があったという説明があったらしい。
すると、「シナ」という単語が戦争の記憶に結びつくからいけないという「シナ」使用反対派の意見は覆されることになる。
「中国」も「シナ」も戦争中と戦後、通して使われており、中立的な意味でも、プラスの意味でもマイナスの意味でも使われていただけの話で、英語のChinaも同じである。
左門豊作がキリンレモンのCMで「セレブ」などという詞(ことば)を使っているが、カネ持ちの意味なら、『巨人の星』では「ブルジョア」か「ハイソサエティー」だった。
もし、戦国時代や江戸時代の人がタイムマシンで現れたら、時代劇に文句を言いそうである。
とにかく、戦争への反省への含め、歴史認識で論争が感情的になるのは人の寿命の長さの分(たとえば戦後60年)の過去だけである。

一休の頓知と大岡裁き、コロンボ警部の推理
『一休さん』の頓智話と『大岡越前』の大岡裁きは、古今東西の物語からネタを集めたもののようで、本当に一休や大岡忠相が考えた頓智、裁きは少ないようだ。
『大岡越前』で有名な縛り地蔵の話がアニメの『一休さん』でも出てきたような気がする。これが歴史的事実なら、江戸中期の吉宗の時代が起源とされる縛り地蔵は室町時代からということになる。
└→しばられ地蔵

また、『大岡越前』には『刑事コロンボ』の「5時30分の目撃者」に似た話もあった。殺人事件の直後、犯人が出くわした「証人」が盲人(『大岡越前』では目に包帯)で、話の最後にその「目撃者」が「犯人はこの人です」、犯人が「あのとき目が見えなかったはず」と言ってアリバイが崩れる話である。

『銭形平次』
『銭形平次』は架空の人物なので、江戸時代の中なら時代設定は自由で、Wikipedia の銭形平次 捕物控>4 備考によると、江戸初期だったのがあとで江戸中期以降になったらしい。
テレビでは予想以上の人気で放送が延期され、原作の小説のネタがつき、テレビ局でオリヂナルの脚本を作ることになった。そうなると、過去の事件や推理小説の流用も多かったのではなかろうか。

過去の作品のリメイクで時代設定をどうするか
『スパイダーマン』や『エースをねらえ!』など、昔の漫画を映像化する場合、携帯電話やパソコンがなかった時代、固定電話我前提だった時代の話を、どうするかが問題になる。時代設定を当時にするか、現代にするかという問題である。これは『白い巨塔』や『1リットルの涙』、『ドラえもん』でも言えることだ。

だから、『スパイダーマン』で主人公が持っているカメラがやけに旧式だったり、『エースをねらえ!』や『ドラえもん』で携帯電話がほとんど出てこなかったりする。
『ドラえもん』は70年代に設定の基本ができた作品で、「糸なし糸電話」(コードレスの電話)や「ききがきタイプライター」(音声認識ワープロ)は未来の道具とされていた。

『1リットルの涙』の場合、原作で作者・木藤亜也氏が病気だったのが1976年ごろから86年までで、日記もてがみの手書きだった時代である。池内亜也の闘病は西暦2005年から2015年までであるが、相変わらず手書きや文字盤に頼る意思疎通は今後の科学の進歩を否定しているかのように見える。もっとも、昨今の格差社会、医療費削減を考えると、脊髄小脳変性症の患者が最先端のハイテクの恩惠を受けられるとは限らない(池内亜也は15歳から25歳まで闘病したので、いわゆる「後期高齢者」ではない)。

実写版『エースをねらえ!』では上戸彩が演じた岡ひろみの生活が昭和風であっても、試合の会場には「2004年」と書かれた横断幕があったような気がする。つまり、放送当時と同じ時代設定であった可能性がある。