日本では浮田幸吉(1757~1847?)が1785年に翼を使って風に乗り、滑空したと言われている。

 

『必殺仕切人』第5話「もしも鳥人間大会で優勝したら」で審査員として「平賀源内」が登場する。エレキテルと石綿で有名な平賀源内は1728年生まれの1780年没。勇次はアヘン戦争(1840~42)当時の香港に行って仕事をしており、それは年老いた「平賀源内」の作った気球を使ったもの。勇次のいた時代の平賀源内は何代目かの子孫か弟子であろう。

 

 

『キテレツ大百科』の主人公・木手英一の父親によるとキテレツ斎は安政6年(1859年)、グライダーを發明。
リリエンタールのグライダーより32年早く、山の峰から約1里半、6kmほど飛んだという。

 

 

『必殺!ブラウン館の怪物たち』によると、徳川慶喜が将軍になった時期、花屋の政も和製グライダーで飛行したらしい。

 

 

オットー・リリエンタール(Otto Lilienthal、1848~1896)は1896年、墜落が原因で没したが、このキテレツの父親の言によると、リリエンタールは1891年にグライダーを作っていたことになる。
Wikipediaで調べると「特許取得(1893年)の後、1号機(1894年)と2号機(1896年)が作られた」だそうだ。

 

 

1893年には二宮忠八が人を乗せて飛べる玉虫型飛行機(「飛行器」)の模型を完成。
軍など各方面に開發の協力を求めたが「外国で実現していない發明など日本では無理だ」と言われ、1903年に
Wright兄弟によって先を越されたあと、それを知った忠八は飛行機製作を断念したらしい。

 

 

日本ではそれより100年ほど前の1785年ごろ、浮田幸吉が飛行装置を發明し、実験したらしい。
松平定信の寛政の改革(1787~1793年)が始まる2年前であった。

 

 

第1次大戦でセスナ機が使われた様子が『キャンディ・キャンディ』で描かれている。

 

 

1927年5月20日、リンドバーグが大西洋を横断。オジャママンが妨碍を試みたが、未遂に終わった。

 

 

 

 

『星の王子さま(小さい王子、 Le Petit Prince、1943年)』で有名な作家・サン・テグジュペリ(Saint-Exupéry、1900~1944)は1944年、飛行中に撃墜されたらしい。

 

 

1982年2月9日の日本航空350便墜落事故で「心身症」「逆噴射」が流行語になった。1980~81年放送の『3年B組金八先生』第2部で「思春期心身症」がテーマになった直後である。
1981年に始まった『新必殺仕事人』の最終回(1982年放送)でも、主水の妻・りつが主水を心身症ではないかと疑う話になっていた。

 

 

1985年8月12日の日本航空123便墜落事故は『クライマーズ・ハイ』で描かれている。
2005年にNHKで放送されたドラマでは、佐藤浩市扮する主人公は新聞社で働いており、そこの意地悪な上司を演じたのが岸部一徳

 

 

2006年のドラマ『神はサイコロを振らない』では主人公が小林聡美の演じる客室乗務員で、これまた意地悪な上司が岸部一徳。岸部一徳は憎まれ役が多く、本人も不本意ではなかろうか。

 

 

2008年の映画『HAPPY FLIGHT』では、また、岸部一徳が出るらしい。

 

 

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2008年11/16