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玄奘三蔵の取経の旅をもとにした有名な小説。

釋迦のてのひらの話は後漢か
作中で描かれている天地の始まり、孫悟空の誕生がいつかわからない。
ただ、天界を荒らしまわった悟空が釋迦のてのひらから出られず、五行山に封じ込められたのは後漢の時代、秦と三国の間であろう。
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取経の旅の始まりは西暦629年か
孫悟空と三蔵との出会いが唐代の西暦629年とすると、それまでの500年間、悟空が閉じ込められていたので、悟空と釋迦のエピソードは西暦129年、前後1年の誤差を考えると西暦130年ごろの話である。
悟空が山に封じ込められた数百年間、今度は人間たちが互いに争い、非道を繰り返し、これが取経の旅の必要性を生んだわけだが、この数百年間の時代に『三国志』で描かれた乱世が入る。

また、人間としての釋迦は紀元前に入滅しているので、『西遊記』で後漢や唐の時代に出現した釋迦は完全に「佛(ほとけ)」である。

玄奘の取経の旅は日本でいえば飛鳥時代、遣唐使派遣のスタートから大化の改新までの時期に相当する。

『映画ドラえもん のび太のパラレル西遊記』(1988年公開)では、630年に玄奘一行が火焰山(=火焔山)でドラえもん、のび太、源静香、剛田武、骨川スネ夫の一行と出会ったことになっていて、このとき、のび太は孫悟空の姿をしていた。
この630年には日本から唐に第1回遣唐使が派遣されている。

玄奘の帰国
玄奘が長安に戻ったのは645年、日本で大化の改新が起きたのはこの年で、続く646年に唐では『大唐西域記』が出ており、また日本では「改新の詔(みことのり)」が出たようだ。

玄奘の旅は7世紀のできごとだが、8世紀になって車悟空という人物が唐から天竺に渡り、経を持ち帰ったことがあるらしい。「史実」の悟空はサルではなく人間の僧であった。

のちに玄奘の取経の話は民間でいろいろ脚色され、現在、おなじみの『西遊記』のスタイルになったのは明の時代。呉承恩(Wu Cheng'en)の作とする説が有名だが、これもはっきり証明されていない。

孫悟空は猿でなく猴である
日本では monkey を意味する「サル」を「猿」と書くが、シナ語では monkey が「猴」hou であって、「猿」yuan で表されるのは ape のほうである。
だから、孫悟空は「美猴王」Meihouwang を名乗っていたわけだ。

中国と日本での映像化
中国では特撮の実写がアニメが作られ、猪八戒主役編のアニメもあるようだ。
『孫悟空大閙天空』は京劇の定番である。

日本では手塚治虫が『ぼくのそんごくう』と『悟空の大冒険』というアニメにしている。
NHKが『三国志』を人形劇にしたのに対し、TBSは三蔵一行をドリフターズにした『飛べ!孫悟空』にした。

日本テレビでは3度もドラマ化され、フジテレビでもドラマになった。
日本では沙悟浄を河童とする脚色がなされたが、それを決定的にしたのはドラマの影響であろう。

中国の紀元前の戦国時代を描いた『英雄』、紀元後のシナ三国時代を描いた『赤壁』など、中国が海外と協力して映画の対策を作ることが多い。一方、フジテレビ版の『西遊記』が安易な作りということで、本場・中国から批判されているらしい(インターネットでの話だが)。それなら中国も海外の協力で、中国人が納得する『西遊記』を映画化したらどうか。
└→『西遊記』(作品解説II)

前後一覧
2008年11/9

関連語句
西遊記 [1] [2] [3] 西遊記』(
玄奘 三蔵 悟空 八戒 悟浄 天竺 釋迦
作品(古代編)


参照
2008年11月