梶原一騎の作品は、たとえ野球を描いても、野球以外のスポーツやスポーツ以外の人生論につながるテーマ、主張、メッセージが明確につたわってくる。

 

スポーツ漫画の種目の多様性
1960年代から70年代初めにかけて、日本のスポーツ人気は相撲や柔道のような原産地ゆえの「お家藝」とされるものは別にすると、野球に人気が集まり、野球の人気は巨人に、巨人の人気はONに支えられていた。
その中で梶原一騎はプロレス、空手、柔道、ボクシング、キックボクシング、サッカーなど多様なスポーツを漫画のテーマとして取り上げた。
サッカー漫画も高橋陽一の『キャプテン翼』より先に『赤き血のイレブン』があった。

 

 

他の多くの漫画家もスポ根路線となり、『アタックNo.1』と『サインはV!』がバレーボール(排球)人気をもたらしたのは周知の如し。
『エースをねらえ!』によるテニスブームや、『スラムダンク』によるバスケットボールブームなど、スポーツ人気の多様化を、すでに野球全盛の時代に梶原作品が先取りしていたと言える。

梶原作品では『空手バカ一代』や『キックの鬼』、『ジャイアント台風』のように、実在の格闘家を主人公にする漫画も多い。

 

 

 

架空の人物と実在の選手が試合で共演する作品は今の野球漫画の主流となった。これも梶原一騎の作り上げた時代という下地があったからこそである。

 

そして、いまでも支持者の多い藤子・F・不二雄の『ドラえもん』と水島新司の『ドカベン』でも、70年代の始まりとほぼ同時に連載が始まった当時は、『巨人の星』的、あるいは梶原的な劇画、スポ根の時代とどう闘い、あるいはどう乗り越えるかという模索の中で生まれた作品だったと言える。

 

水島新司は70年代初めまでの野球漫画に革命をもたらし、それまでの先人の野球漫画が「主人公の球団は巨人軍」「ポジションは投手」「決め球は魔球」というものをメインとしていた時代に、「主人公の球団は阪神、南海、または架空」「ポジションは投手だけでなく捕手や打者」「球種も直球や既存の変化球のの応用で、9人で勝利」という世界を確立した。

 

しかし、水島新司は野球漫画の枠内の多様性を確立しただけであり、梶原一騎は野球漫画というジャンルに縛られず、スポーツ漫画のジャンルの多様性を初めから確率していた。したがって、野球の人気が巨人だけでなくなったのは水島新司の功績または願望であっただろうが、サッカーのJリーグ誕生以後のスポーツの人気そのものの多様化は水島新司によって脅威であったようで、梶原一騎はスポーツのジャンルについては初めから時代を先取りしていた。

 

梶原作品の背景にある思想
梶原一騎の作品は子供の人権を尊重する「戦後民主主義」とは相反するような作風で、星一徹のような父親像は『巨人の星』が連載されていた当時もすでに過去のものだった。花形満が言ったように一徹と飛雄馬は日本の西洋化に逆らい、古き良き日本を守ろうとしていた。

 

 

 

そして、この作品は60年代後半、学園紛争の時代に大ヒットし、「戦後民主主義」を支えた学生たちが好んで『巨人の星』を読んだ。
呉智英がこの『巨人の星』ブームを「戦後文化の逆説」とする評論を講談社漫画文庫『巨人の星』8巻(「第二部」~「奇跡の新魔球」、KC13~14巻前半に相当)の巻末に載せており、小林よしのりの『挑戦的平和論』下巻(幻冬舎)の巻末「漫画論」での欄外注釋(書き手はスタッフか)に梶原一騎に関する説明で同様の分析がある。
└→梶原一騎について補足(Yahoo!Blog)
└→梶原一騎について補足(AmebaBlog)

 

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2008年11/9平成20年11月