【明】76年度――【ア】79年度――【弁】80年度――【甲】85年度―(【新】91年度)―【P】94年度
(【新】は新潟明訓との対戦を基準にした年度)

明訓高校3年

春選抜
対通天閣、対花巻、対土佐丸など。
大戦相手は土佐丸→石垣島→北海大三。
明訓が優勝。
里中が一時、野球部から離れる。

『ドカベン(番外編)新潟明訓対神奈川明訓』
1991年7月7日、神奈川明訓(監督は大平、山田世代は高3)が新潟に遠征し、新潟明訓と練習試合。神奈川明訓ナインが小林幹英投手と対戦。その後、7月13日から29日まで新潟県地区予選が開かれ、新潟明訓が県代表となる。
└→『大甲子園』と『新潟明訓対神奈川明訓』の前後関係

『ダントツ』~『大甲子園』
夏の予選
明訓×東海(『ダントツ』で記録)。
明訓×横浜、岩鬼サヨナラ本塁打、明訓の投手は渚。場所は保土ヶ谷(『大甲子園』1巻冒頭)。
明訓×白新、里中復帰。場所は横浜球場。
岩田鉄五郎と五利監督が観戦。
巨人学園予選V。
千葉決勝は青田×クリーンハイスクール。青田が千葉代表に。
大阪は南波高校が代表。敗れた通天閣は前年夏の甲子園優勝校。

夏の甲子園
明訓×室戸、室戸ナインが「瞳はダイアモンド」と「艶姿ナミダ娘」(83年の歌)を歌う。
光×南波、球二、球三が出場。藤村甲子園と球之進が観戦したが、南波は敗れる。
明訓×青森りんご園農業――少チャンC10~12巻
明訓×巨人学園。
明訓×光。スポーツ記者が里中と荒木を「兄弟」とする「疑惑」に迫る。「ロス疑惑」(Wiki)の影響か。
明訓×青田、岩田鉄五郎と五利監督が観戦。ここで岩田鉄五郎は「まだ引退しない」という趣旨の發言をしており、1997年ごろに現役復帰したときが「20年ぶり」とすれば、この試合を観戦したのは1977年、あるいは横浜球場が使われるようになった78年になる。

延長再試合、岩鬼登板――少チャンC21~22巻

岩鬼がまねたのは中日の小松(小松辰雄か、Wiki)の昭和60年(1985年)当時、阪急の今井雄太郎(Wiki)、ロッテの村田兆治(Wiki)、阪神のゲイル(Wiki)、ランディ・バース(Wiki)、阪神の池田(池田親興か、Wiki)、江川卓(Wiki)が作新学院2年春のときの投球(この試合の時点では江川は巨人軍)、巨人軍の水野雄仁(~かつひと、Wiki)。
昭和60年(1985年)のプロ選手のまね(→【甲】1985年度)。
殿馬は「秘打・夏の扉松田聖子」、「夏の扉」は81年の曲。
Wikipedia 大甲子園3 時代設定
└→1985年――『大甲子園』、『クライマーズ・ハイ』(日航機墜落事故)、『ドラえもん』(ハレー彗星接近前年)

決勝は明訓×紫義塾。
山田世代高3夏の甲子園では明訓が優勝。

前後一覧
08年11/3~6 11/6~9