田母神氏が会見し、反省の辯がないそうだが、それはそうだろう。田母神氏は自分の意見を書いただけで、法的にも道義的にも何一つ、悪いことはしていない。もし、「政府の見解と違う」ことを言ってはいけないのなら、例えば、逆に田母神氏が今回、書いたような日本擁護論が政府の見解だったらどうなのか。もし、日本政府が「日本は侵略などしていない。大東亜戦争は正しかった。日本は被害者だ」という立場であったとすれば、自衛隊の幹部、自衛官や政府の人間、国会議員は誰一人それに異を唱えることはできないのだろうか。このように立場を入れ替えて考えることも必要だ。

繰り返すが、自衛隊を「違憲」とし、日米安保に異を唱えている社民党の党首だった村山富市は、自社さきがけ政権で政府に入って首相になった途端に、政府の見解にしたがって「自衛隊は合憲」と答辯した。村山氏は一度は「日韓併合は合憲」と述べた。「村山談話」は村山富市個人の一時的な意見と見なすべきである。歴史認識などというものは個人によって十人十色であり、同じ個人でも時と場合によって変化するものである。中国と韓国が今後、100年も200年も日本人全員の歴史観を永遠に管理しようとするなら、それは無駄である。

「6000人の命のビザ」で有名な杉原千畝(~ちうね)は政府の関係にしたがっていたのか、逆らっていたのか、逆らっていたのなら、なぜそれが英雄視されるのか考えたほうがいい。
そもそも、戦争中の反戦運動も「政府の方針」に逆らっていることを覚悟の上で、主張をしているわけだ。戦争を支持しようが否定しようが、政府の見解と同じかどうかは重要ではない。
2008年、11月4日、午前3時2分

麻生總理を初め、政府は防衛庁に「再發防止策」を求めるなど、まるで不祥事扱いで、しかも「村山談話」を教材とする教育を幹部にさせるということで、まるで中国共産党の「学習」と同じ。「村山談話」という「毛語録」に盲從(毛語録なら“毛從”?)しているのかね。昔の「民化教育(くわうみんくわ・けういく)」が、今では「村山民化教育」になっているわけだ。今の日本の「村山談話ファシズム」のほうがぞっとする。
そういえば、阪神大震災のとき、村山富市が被災地を視察して軽い挨拶(「どうも」か「ごくろうさん」のようなものだったか)をしただけということで、『朝生』で小田実(~まこと)は「村山富市は天皇だ」と言っていた。
これでは日本政府も朝日も讀賣も毎日も「村山談話」を聖書とする宗教になっているのと同じで、オウム信者と同じだな。靖国参拝を批判する資格はない。
2008年11月4日、13時2分

学校で日の丸と君が代を拒否して解雇された教師は、思想・信条の自由を主張し、たとえ解雇されても新年を曲げないだろう。何度処分されても拒否し続ける。田母神氏も自分の信念による論文であれば、どんな処分をされても持論を変えないはずだ。
シビリアンコントロールの面でも田母神氏の論文は問題ない。一企業に出した私見の論文であり、国会への法案提出でもないし、議会工作でもない。それを「文民統制」を理由に批判するのは「文民ファシズム」である。また、シビリアンコントロールは絶対ではない。始皇帝となった秦王も甲冑に身を固めていたし、日本には武家政権の傳統がある。文民統制が絶対だという根据はどこにもない。
2008年11月4日、19:51

自衛隊、軍人が政府の方針に異を唱えていけないはずはない。もし、政府を含めた国民の多数が戦争をすべきだと主張し、自衛隊または軍の側が反戦論だったらどうなのか。そのときも軍人は政府にしたがって負けるとわかっている戦争を始めるべきなのだろうか。日本の南北朝時代や幕末を描いた大河ドラマでは、天皇、朝廷、公家の側が武士に戦をしろと命じ、戦を知り尽くした武士のほうが拒否する場面があった。
軍人であろうと国民の一部である。政府の見解に対し意見は言うべきである。

日本政府は韓国や中国などの「個人の見解」と説明するだろうが、個人が「個人の見解」を理由に更迭されるようでは、言論の自由などなくなったも同然である。逆に韓国や中国は日本の「個人の見解」なら納得するのであれば、何だったら納得しないのか。「国の見解」も所詮は個人の意見であり、村山談話しかり。日本人1億2000万全員が同じ考えを持って「国の見解」を合唱するかのような考えは、国定教科書で歴史を学ぶ全体主義国家の民の考えだ。
2008/11/4(火) 午後 7:59

そもそも、「文民統制」が必要だという考えは、「日本軍部が暴走した結果、戦争になった」という歴史認識に基づいてできたものだが、田母神氏の考えはその前提を疑問視しているのだから、「文民統制」そのものが根据にならない。
2008年11月4日 21:26

朝日社説「自衛官の教育総点検」は思想検閲です

田母神論文が問題であるとすると、それは自衛官の立場で集団的自衛権のついて發言したことであり、村山談話への批判は個人の思想の自由として認められるべきものです。村山談話を絶対に守る必要などありません。もし、田母神氏の思想を理由に更迭するのが妥当なら、学校行事で日の丸、君が代に起立しない教師もクビは当然と思いますがどうですか。
2008年11月8日 13:15

朝日新聞に問い合わせのメールを送った。

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2008年11月