今から50年前、1958年、昭和33年は川上哲治が現役最後で長嶋茂雄現役1年目。
そのとき、日本シリーズは巨人と西鉄ライオンズが戦い、稲尾和久投手が奇跡の連投でライオンズを勝利に導き、「神様、佛様、稲尾様」と称賛された。

それから50年たった西暦2008年は平成20年、そして昭和83年に相当する。
この年、北京五輪で上野由岐子投手が連投、金メダルをもたらし、稲尾投手と比較された。

その2008年の日本シリーズは巨人×西武。西鉄と西武の違いこそあれ、ジャイアンツとライオンズの日本シリーズが半世紀を経て繰り返された。もちろん、この50年の間にも巨人とライオンズは何度か、日本シリーズで対戦しているが、50年という区切りは特別であろう。

そして、今年の日本シリーズで上野投手が始球式を勤めたのも稲尾和久との因縁であろうか。
まさに、西暦2008年日本シリーズの始球式にふさわしい投手であった。

山田太郎は「1974年度高1」の基準で1958年5月5日に生まれた。
星飛雄馬は第1話の基準を採用すると1958年の誕生日で10歳、1966年青雲高校入学の基準では1958年で8歳、1967年高校1年2学期で中退という設定では1958年で7歳。
藤村甲子園と番場蛮は4歳。藤村甲子園は長嶋に将来の挑戦を宣言し、16年後の1974年、藤村甲子園20歳の年に実現した。

星飛雄馬が早稲田実業高校時代の王貞治と対戦してから50年、王貞治がソフトバンクホークスの監督を退任。
50年前も今年も、まさに時代の節目であった。

1928年、手塚治虫誕生。ちなみに西郷隆盛生誕100年。
1958年、日本シリーズ、巨人×西鉄。稲尾が連投。
1978年シーズン終わり、クラウンライターライオンズが西武ライオンズに。
1988年、東京ドーム開場。
1989年、手塚治虫没。
2008年、日本シリーズ、巨人×西武。上野投手が始球式。

1975年の広島×阪急は「山陽新幹線シリーズ」と呼ばれたらしい。
2008年日本シリーズの巨人×西武戦東京対埼玉だから、「西武池袋線シリーズ」または「西武新宿線~総武線乗り換えシリーズ」であろうか。
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『ドカベン』では2008年の日本シリーズは巨人×スーパースターズ。監督は明訓編初期の山田世代と同い年の原辰徳。スーパースターズの山田世代より18歳年上である。
ブルートレイン学園出身の隼が巨人打線に「消える魔球」を披露した。1969年の日本シリーズで星飛雄馬が消える魔球を使ってから39年たっていた。

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2008年11/2 11/2前後 11/3