『篤姫』第44話で小松帯刀(1835~1870)坂本龍馬(1835~1867)天璋院(1836~1883)と「同い年」であることが、篤姫と勝海舟(1823~1899)の会話で明言された。正確には篤姫のほうが1歳年下のはず。
大政奉還当時、この世代は32~33歳。福澤諭吉(1834~1901)もほぼ同世代である。

坂本龍馬が斬られ、没したのは慶応3年11月15日(西暦1867年12月10日)で、大政奉還が宣言された慶応3年10月14日(1867年11月9日)から1箇月後であった。
慶応3年10月14日、京都・二条城で徳川慶喜が大政奉還を宣言、翌日、朝廷がこれを受け入れた。

王政復古は慶応3年12月9日(1868年1月3日)で、陰暦では龍馬が没した11月の次の師走であったが、陽暦では龍馬が没したのが師走で、王政復古は年明け後である。
└→補足

ちなみに、武田鉄矢(1949~)海援隊は1972年にデビューし、当時、武田鉄矢は23歳。1949年生まれの花形満世代である。以前、何かの雑誌で読んだ記憶があるが、武田鉄矢は当初、海援隊が賣れようと賣れまいと、とにかく坂本龍馬が没した33歳(数え年)まで海援隊を続け、そこで解散しようと考えていたらしい。1979年に「贈る言葉」が、翌80年に「人として」がヒットし、大スターになっていた中で、1982年、海援隊は解散。解散の年は昭和57年、明治115年(つまり、龍馬没後115年)の年であった。
1994年から活動を再開しているらしい。

『JIN-仁-』では龍馬は南方仁の手術で慶応3年12月1日(指定1867年12月26日)まで生きた。

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2008年11/2 11/2前後