巨人と西武の試合を中継している。テレビ報道によると「6年ぶりの名門対決」らしい。
北京五輪、女子ソフトボールの金メダリストの一人・上野由岐子投手(ルネサス高崎)が日本シリーズ第1戦で始球式をやったようだ。

 

『週刊少年チャンピオン』No.48、11/6号の『ドカベン・スーパースターズ編』では、東京スーパースターズと福岡ソフトバンクホークスが「勝てばクライマックスシリーズ出場」という試合で対戦していた。

 

球団名、漢字と振り假名
欄外のあらすじで福岡ソフトバンクホークスが漢字「福岡」の2文字で、振り假名は「ホークス」だった。意味から言えば「鷹」に「ホークス」という振り假名を振るべきである。

 

「巨人」に「ジャイアンツ」という振り假名は直譯だからいいとして、「阪神」に「タイガース」という振り假名は「虎」に振るべき假名を会社名につけている意味で、少し無理がある。「中日」に「ドラゴンズ」、「西武」に「ライオンズ」という振り假名を振るのと同様だ。
「ソフトバンク」は片假名なので、これに「ホークス」という振り假名を振るのは苦しい。「ソフトバンク」は漢字で「軟体銀行」であるが、これを使うなら「ホークス」は「鷹」と書けばよろしい。

 

もし、南海ホークスの時代であれば、「南海」に「ホークス」という振り假名を振る方法もあったであろうか。

 

「現実」の野球界との関係
西武については扉絵で山田と本塁打数を競う中村剛也(~たけや、1983~、Wiki)のイラストが出ているくらい。

 

2007年の日本シリーズでは、本当は中日が日本一だったのに、『ドカベン』ではスーパースターズが中日を破って日本一。

 

1974年は巨人の優勝ができなかったので、『侍ジャイアンツ』は終了。
1978年にヤクルトが優勝したとき、『新巨人の星』も途中で終了し、アニメでは巨人Vという展開になった。
一方、あのパロディーの極致であるいしいひさいちの『がんばれ!!タブチくん!!』でも「78年ヤクルトV」は「史実」に忠実に再現していた。

 

こうして見ると、水島新司のほうが梶原一騎よりも現実離れした世界を描いていることになる。

 

西暦2000年のON対決は岩鬼正美がいたダイエーホークスと微笑三太郎がいた巨人の対決であり、『少年チャンピオン』の表紙にもなった。

 

2004年から山田世代とライバルたちが2つの「架空」のチームに移った。
もし、『ドカベン』のキャラクターが今でもプロ入り当時の球団にいたら、2008年の日本シリーズは巨人の微笑と西武の山田太郎の対決になっていた。2007年の日本シリーズでは中日ドラゴンズの影丸が落合監督とともに胴上げされていたはず。

 

90年代の山田世代の同僚たちは次々と移籍
もっとも、90年代から西暦2008年まで、選手の移籍は多かった。
95年のオールスターではオリックスから殿馬とイチローが、西武から清原と山田が、巨人から松井秀喜と微笑が出場したが、山田を西武に勧めた清原も、殿馬をオリックスに勧めたイチローも、そして松井秀喜ものちに別の球団に移った。言うまでもなく、イチローと松井秀喜はメヂャーに行った。
そして、『プロ編』の山田世代と同世代である城島健司も、山田世代の移籍の翌年にホークスからメヂャーに移った。

 

そうなると、山田世代の移籍は現実的である。
むしろ、1970年の終わりに星飛雄馬が失踪したあと、星と対戦するための巨人の誘いを断って大洋に入っていた左門豊作が巨人に引き抜かれることなく、少なくとも1978年の横浜大洋のスタートの年まで大洋に在籍していたことのほうが、漫画的で、かつ、律儀である。
もっとも、大洋が左門を手放すことは考えられなかったのだろう。