●「『プロ野球編』基準」
(【1973年度】――鈴木一朗誕生)
(【1974年度】――松井秀喜誕生)
【1976年度】山田世代誕生(――城島健司誕生)
(【1976年】――緒方勉の地元・いわき市の炭鉱閉山)
【1991年度】山田世代中3(――新潟明訓高校が甲子園初出場)
【1992年度】山田世代高1(――星稜高校の松井秀喜が5打席連続敬遠される
【1993年度】山田世代高2(――土井垣が日ハムに、犬飼小次郎がダイエーに入団)
【1994年度】山田世代高3(秋のドラフトで山田18歳、岩鬼17歳)
【1995年度】山田世代プロ入り(――城島が大学進学を撤回してプロ入り→Wikipedia 城島健司を参照)
【2004年度】山田世代28歳、新球団へ移籍
(【2005年】――このシーズンの終わりに城島がシアトルマリナーズと契約)
(【2006年】――この年から城島が大リーグに出場)

 

ここで言う『プロ野球編』は『スーパースターズ編』も含む。

 

《根据となる時代設定》
これは明確である。
1994年秋のドラフトで明訓5人衆が指名された。春と夏2つの優勝旗は1994年(平成6年)の大会のものである。
94年度で山田世代は18歳になる。山田の18歳の誕生日は94年5/5、岩鬼の18歳の誕生日は94年度の最後の日に当たる95年4/1であり、ドラフト指名のとき、山田18歳、岩鬼17歳であった。

 

《山田世代は何年度生まれか》
山田世代は1976年度生まれで城島健司と同学年。岩鬼は1976年度の最後の日、1977年4月1日に生まれた。
1995年春からプロ現役開始。当時、松井秀喜が巨人に、イチローがオリックスに、伊良部がロッテにいた。

 

《山田世代の球歴》
1992年春に明訓に入学し、夏の甲子園初出場は第74回全国高等学校野球選手権大会。新潟明訓の初出場の翌年である。
山田世代が高1の夏、松井秀喜が甲子園で5打席連続敬遠された。その翌年、93年春の選抜で山田が5打席連続敬遠された。微笑三太郎は山田世代高1の秋ごろに明訓に轉校してきた。
高校3年の春の選抜は第66回選抜高等学校野球大会
夏の甲子園は第76回全国高等学校野球選手権大会
└→『ドカベン・プロ野球編』では山田世代高3の明訓がこの2大会でV。

 

岩鬼がダイエーに入ったのは王貞治のホークス監督就任が決まった94年秋のドラフトによる。
岩鬼のプロデビューはダイエーの王監督の1年目でもあった。
岩鬼入団当時の描写では見当たらないが、時代的にあぶさんと犬飼小次郎もそこにいたはずである。

 

『プロ編』における山田世代は1976年度生まれだから松井秀喜より2歳年下、イチローより3歳年下になる。
2007年、『少年チャンピオン』で水島新司画業50周年(実際は50年目)記念の企画があったとき、野球界からON、江川、香川、田中将大、松井秀喜と城島が祝福コメントを寄せ、城島は「自分は山田たちと同世代」というコメントをしていた。

 

『スーパースターズ編』において中西球道が山田世代と同学年であるのは言うまでもない。

 

1991年、神奈川明訓ナインが新潟に遠征し、姉妹校である新潟明訓と練習試合をおこない、山田、岩鬼らが小林幹英(~かんえい)投手と対戦。小林投手は1974年1月29日生まれで、早生まれなので1973年度生まれのイチローと同世代。1991年度に高校3年で、このとき、新潟明訓が甲子園に初出場。
「『大甲子園』基準」では山田世代は1986年3月までに高校を卒業しており、「『プロ野球編』基準」では1991年当時、山田世代は中学3年になってしまう。

 

《サチ子の場合》
太郎より9歳年下だとすると85年生まれ。『大甲子園』で太郎が高校野球最後の年度を迎えていた年である。その『大甲子園』に登場していたサチコは76年度生まれであり、『プロ野球編』の太郎と同い年であった。太郎より8歳年下とするとサチ子は84年生まれ。
サチ子が太郎より学年で8年下、年齢で9歳年下となるとサチ子は早生まれになる。
└→山田サチ子と山田太郎の年齢差

 

《土井垣の場合》
『プロ編』における土井垣は「(山田世代の)明訓入学基準」における山田世代の明訓入学から3箇月たった74年7月11日に生まれたことになる。当時、作中の土井垣は、もちろん、高校3年生だった。
『プロ編』の土井垣は明訓編スタート時の土井垣より18歳年下である。
「土井垣プロ入り基準」における土井垣は「『プロ編』」の初めの94年秋の段階で79年夏のプロ入りから15年余りたっている。すでにベテランである。
ただし、「『プロ野球編』」における土井垣は山田世代の2年上だから1974年度生まれで松井秀喜と同い年。プロに入ったのは山田世代が高校2年の夏だから93年夏のことである。偶然にも、ことのきの監督も大沢親分であった。
ドラフトで後輩の山田、岩鬼たちが指名されたとき、土井垣はプロ入り1年であった。

 

土井垣はともかく、土井垣とほぼ同時にプロ入りした犬飼小次郎の場合、明訓編で描かれた入団の場面では広瀬監督時代の南海ホークスだったが、「『プロ編』」基準だと小次郎は王監督の前任者・根本監督時代のダイエーホークスに入団したことになる。
Wikipedia の福岡ソフトバンクホークス>11 歴代の監督を参照。

 

1996年、佐々木誠がかつてダイエーで同僚だった犬飼小次郎と対戦。佐々木は「4年前、犬飼小次郎はドラフト1位でダイエーに入団し、翌年2月に紅白戦で対戦した」(要旨)ということを心の中で言っていたが、作中で犬飼小次郎はドラフト指名された翌年の夏にホークスに入った。
└→土井垣将年齢変遷

 

《他の基準での1994年度》
「明訓入学基準」ではプロ入り18年目のベテランで36歳(岩鬼は95年4/1で36歳)、「いわき東基準」でもプロ入り
16年目で34歳、「アニメ基準」ではプロ入り15年目で33歳、「土井垣プロ入り基準」ではプロ入り14年で32歳(土井垣は16年目で34歳)、「『大甲子園』基準」ではプロ入り7年目で27歳。

 

《他の基準での山田世代高3》
『大甲子園基準』を参照。

 

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