●「『大甲子園』85年基準」
(【1965年度】――古田敦也誕生)
【1967年度】山田世代誕生(――清原和博と桑田真澄誕生も誕生。桑田は68年早生まれ)
(【1968年度】――野茂英雄誕生)
(【1976年】――緒方勉の地元・いわき市の炭鑛閉山)
【1982年度】山田世代中3
【1983年度】山田世代高1(――清原と桑田真澄高1)
【1984年度】山田世代高2(――清原と桑田真澄高2)
【1985年度】山田世代高3(――清原と桑田真澄高3、秋ドラフト1位指名)
【1986年度】山田世代プロ入り(――清原と桑田真澄プロ入り)
(【1989年】――野茂英雄、秋ドラフト1位指名。古田は2位)
(【1990年】――古田と野茂プロ入り)

《根据となる時代設定》
『大甲子園』では夏の甲子園の明訓×青田戦で、岩鬼が1985年(昭和60年)当時の選手のまねをしていた。
山田世代が1985年度で高校3年と假定する。
Wikipediaの大甲子園>3 時代設定を観るとわかる。
夏の甲子園は第67回全国高等学校野球選手権大会
└→高校野球などアマチュア野球史、ドラフト史4

《山田世代は何年度生まれか》
逆算すると山田世代は1967年度生まれ。清原和博(67年8月生まれ)と桑田真澄(68年4月1日生まれ)がこの学年になる。桑田真澄は岩鬼正美と同年同月同日生まれになる。
『大甲子園』における山田世代は「KK世代」である。

《山田世代の球歴》
小学校は1974年春から。「明訓入学基準」における高校入学の時期である。
中学は1980年春から。
山田、岩鬼、殿馬が鷹丘中学3年だったのは1982年度で、83年3月卒。
明訓高校在籍は83年度から85年度までで、86年3月卒。
高3でのドラフトは85年秋で、入団していれば86年春からプロ開幕。

《サチ子の場合》
太郎より9歳年下であれば76年生まれ。初期明訓編において山田世代が高3となっていたはずの年度であり、『プロ野球編』における山田太郎が誕生した年度である。
太郎より8歳年下であれば75年生まれ。
サチ子が太郎より学年で8年下、年齢で9歳年下となるとサチ子は早生まれになる。
└→山田サチ子と山田太郎の年齢差

《土井垣の場合》
「土井垣プロ入り基準」における土井垣(1960~)が小学校に入ったのは67年4月である。
「『大甲子園』基準」における土井垣は1965年生まれで古田敦也と同い年。67年当時は7月11日で2歳の誕生日であった。

「土井垣プロ入り基準」における土井垣は85年の段階で79年のプロ入りから6年たっている。

山田世代のプロ入りは1985年秋のドラフトのあと、86年春から現役。
『大甲子園』に登場した真田一球、藤村球二、球三、中西球道が同学年であるのは言うまでもない。

《他の基準での1985年度》
1985年度の山田世代は「明訓入学基準」ではプロ入り9年目の27歳、「いわき東基準」ではプロ入り7年目の25歳、「アニメ基準」では6年目の24歳、「土井垣プロ入り基準」では山田世代もプロ入り5年目の23歳(土井垣は79年夏のプロ入りから7年目で25歳)、『プロ野球編』基準」では小4で10歳。
└→土井垣将年齢変遷

《他の基準での山田世代高3》
「明訓入学編」で76年度。「いわき東編」で78年度。「アニメ基準」で79年度。「土井垣プロ入り基準」で80年度。「新潟明訓基準」で91年度。「『プロ野球編』基準」で94年度。

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08年10/20前後