書店で見つけた本でいずれ買おうと想うもの


主に以下の内容がある。

北条早雲は「北条早雲」と名乗ったことはない。

織田信長は頭蓋骨に酒を入れて飲んでいたわけではない。『知ってるつもり?!』でもその通説が紹介されていたように想う。Wikipediaで調べると小説での脚色らしい。
『江~姫たちの戦国~』では脚色が多いが、この頭蓋骨の件については信長(演:豊川悦司)否定していた。

元寇のとき、神風は吹かなかった。台風のシーズンではなかったらしい。

そのほか、「水戸光圀は天下の副将軍ではない」「大岡裁きはなかった」「遠山の金さんの彫り物は桜吹雪でない」はすでに常識。
ちなみに、假に「副将軍」が時代劇『水戸黄門』の世界で存在したとしても、劇中の光圀は隠居、つまり「先の副将軍」であり、すでに日本全国を旅している時点で光圀は副将軍ではなかった。

「大石内蔵助(おほいしくらのすけ)は山鹿流の陣太鼓をたたいてはいなかった」についても、冬の夜中に人の家の前で太鼓をたたいたら近所迷惑であろう。

「赤穗浪士の討ち入りのときの衣装はおそろいではなかった」というものも。
Wikipedia の元禄赤穂事件に少し書かれてある。
確かにあんな東映戦隊シリーズのような衣装は時代劇向けの脚色であろう。

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新撰組はやはり、あのユニフォームだったのだろうか。
└→別冊歴史読本『間違いだらけの歴史常識』(新人物往来社、税込み1680圓)


有名な方言とされる表現で、地元ではすでに使っていないものが結構、ある。
「めんそーれ」は沖縄では使わなくなっているらしい。

世界でよく知られた日本語のフレーズとして「ハラキリ」と「フジヤマ」は日本では使わない。『侍ジャイアンツ』の「ハラキリ・シュート」は海外で有名な言葉を敢えて使っているだけ。
中国人は日本語というと「米西、米西」だと想っている。
「メシ」meshi が mixi に訛っているだけだ。日本語の「シ」shi はシナ語の xi と同音である。

子供のころ、どうして日本人だけが「普通の言葉」を使って、外人がABCとか「変な言葉」を使うのか気になって、兄も同じ疑問を想ったようなので、私が母に訊いたら母は笑って「どうしてなんだろうね」と流していた。今、想えば日本語人が日本語だけを「普通」と想う考えは非常に幼稚で素朴であった。しかし、つい昨晩、兄がテレビを観ながらテレビに出ている人の日本語の發音が気になったのか、「どうして訛りって抜けないのだろう」と言い、母も同意して不思議がっていた。まことにくだらない疑問である。わが家のこの人たちの考えは固まっているし、反論しても憤慨するだけだから、もう黙っていた。

田中克彦氏の本にあったと想うが、フリッツ・マウトナーが紹介していたことで、あるチロル人が「イタリアはいい所だが、馬のことをカヴァロ(cavallo)と言うおかしな人たちがいる」と述べていたというのがあり、マウトナーは「彼ほど素朴でなくても、私たちは似たり寄ったりだ」と言ったらしい。
このチロル人は独語人で「馬」を Pferd か Ross と言うのに慣れていたのだろう。

日本人が中国大陸の簡体字について批判するのも似たようなものだ。所詮は自分の言語圏で見慣れていない漢字を批判しているだけである。

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2008年10/19