日頃、「政府が国民を縛るのはよくない」と言いながら、何か事件が起きると「国が規制すべきだ」、「禁止すべきだ」と叫ぶ市民運動やマスコミが真の民意から離れつつある証据であろう。
Y!Japan こんにゃくゼリー 擁護の声

サリドマイドも復活した。

天保の改革のときは音楽や芝居などの藝能、人情本も禁止された。
今の日本では銃が規制されている。
政府が禁止するものには理由があるが、それを守らない人間もいる。
玄奘三蔵も大黒屋光太夫もジョン万次郎もときの法律を破って英雄になった。

「法律、条例で禁止されているから」、「憲法違反だ」という紙きれにこだわった教条主義など、無力である。
ルールを守らないものは人類にとって癌であり、宝である。

┌2008年10月24日、以下を追加。

人類の進化の悲劇
あの王貞治も食べ物をのどに詰まらせて、一時、試合を休んだことがあるらしい。
脊椎動物の中でも哺乳類は嗅覚と咀嚼能力が進化した部類に入るが、哺乳類の進化の最先端にいるはずの人類はその嗅覚と咀嚼が退化している。
物を加熱して食べるようになると、噛み砕く必要がなくなるからだ。
ゼリーだの餅だのは柔らかくて噛む必要もないように思えるが、むしろ、のどに使える危険性がある。
もし、肺から鼻腔に向かう気管と胃から口腔に向かう食堂が完全に「立体交差」していたら、食べ物はのどに詰まらないだろうが、人間は言語を獲得できなかっただろう。物を飲み込むときはどうしても呼吸を止めないといけない。田中克彦氏は爆笑問題との会談で、「しゃべる口と食べる口が別々ならいい」と言っていた。しゃべる口は鼻腔とともに気管で肺につながり、食べる口は食道を通って胃につながる構造であれば、食べ物が呼吸を妨げることはないだろう。

食べ物をのどに詰まらせる危険性I
最近、子供がパンの早食い競争をして、パンをのどにつまらせて窒息死するニュース、さらに高齢者がこんにゃくゼリーをのどに詰まらせて亡くなるニュースがあり、こんにゃくゼリーの販賣中止騒ぎに發展した、一方で販賣再開を求める意見がネットに出ているらしい。
なにか事件が起きると、すぐにメーカーのせい、行政のせいにするマスコミが民意から離れている証据である。
『1リットルの涙』の木藤亜也氏も脊髄小脳変性症によって嚥下能力が退化し、終いには食事ができなくなり、点滴だけの生活となった。気管と食道を分ける機能がなくなった場合、食べ物を細かく砕いて水に溶かし、液状にして少しづつ飲む方法が妥当だ。
ゆっくり噛んで、落ち着いて飲み込むのが安全な食事だが、学校給食でも時間内に食べるよう「指導」がおこなわれていいるらしい。
食事に関する教育では、みんなで一緒に食べるだの、私語をしないだの、主食とおかずを食べる順序(「ばっかり食べ」への批判など)だの、些細なマナーにこだわるより、安全を優先すべきだろう。

食べ物をのどに詰まらせる危険性II
正月に老人が餅をのどに詰まらせて死亡する事故が毎年起きているが、持ちの販賣中止を叫ぶ人は出てこない。「日本人は正月に餅を食べるのが傳統」という国家主義による強制、固定観念で人々の頭が凝り固まっている。卒業式や入学式の日の丸、君が代を拒否するパフォーマンスより、「正月の餅」の強制を何とかするべきであろう。
正月に高齢者には餅を食べさせないように、法令で禁止するくらいはしてもいいだろう。それができないなら、今後、何を食べても窒息の危険性があり、万一のときは食品会社でなく本人の不注意のせいということになる。

小さい子供は嚥下能力が未熟で、つまり成長によって完成される可能性がある。
一方、80代くらいの老人の場合、食べ物が気管に入りやすいということは、呼吸器官を守る生体機能が衰えているわけで、哺乳動物としてはもはや一生が終わり(→和語漢字表記)にさしかかっているわけである。
└→2008年――『1リットルの涙』

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