○平賀源内(1728~1780)
『大辞林』の「平賀源内」で「1779年没」。
『大辞泉』の「平賀源内」で「1780年没」。
Wikipediaの「平賀源内」では没した時期が陰暦師走と陽暦正月の重なった時期。
この人が生まれたのは吉宗の享保の改革(1716~1745)の最中で、『ガリヴァー旅行記』初版が出た1726年から2年たっていた。
のちに「おろしや国」の女帝となるエカテリーナII(1729~1796)は満年齢で源内より1歳年下だが、当時の日本で数え年だったので、のちの女帝誕生時、源内は2歳になる。
源内はエレキテルと石綿で有名だが、石綿(=アスベスト)が問題化した今となっては、平賀源内の学者としての責任を問う声が上がっても不思議はないし、彼を主役や準主役にした時代劇も出ないだろう。

家重の時代、大岡忠光が伊賀の里を襲い、影の軍団が大岡忠光の暗殺を狙う。この影の軍団の首領は柘植新八(つげしんぱち)。影の軍団の敵だった椎名美里は味方と対立し、首領によって両眼を切られ、小屋に閉じ込められた。柘植新八が来ると小屋に火がつけられ、源内の石綿を使って生き延びた。美里は源内の治療を受け、去っていった。
1760年、大岡忠光が死去。影の軍団が暗殺した可能性がある。
家重が失脚し、紀州の治貞(むねはる)と尾張の宗睦(むねちか)が次の将軍職を拒否して、隠れ旅をおこなった。この旅に平賀源内が同行し、治貞と宗睦の旅先に現れていたらしい。

必殺シリーズで主水や勇次が仕事をした話は、もっぱら天保時代のはずだが、必殺のスタッフは近代的な道具を出すとき、何でも「平賀源内」で間に合わせる傾向があった。
主水、秀、勇次ら『必殺仕事人IV』のメンバーによる『仕事人アヘン戦争へ行く』でも、アグネス・チャン扮する清国女性の依頼で主水らは香港に行くことになり、主水は牢屋から「平賀源内」を呼び出し、気球を作らせた。しかし、アヘン戦争当時、牢屋に入っていた洋学者といえば高野長英である。このあたり、歴史の誤記であろう。
また、『必殺仕切人』の第5話「もしも鳥人間大会で優勝したら」では飛行コンテストの審査員に平賀源内がいるが、これが源内の没年・1780年より前とするとアヘン戦争より60年以上前になる。
勇次の時代にいた平賀源内は有名な源内と同姓同名の別人であろう。子孫か弟子と考えると辻褄が合う。

1776年、源内がエレキテルを復元。20世紀の日本からシャドウという組織が源内を誘拐しようとタイムトンネルでやって来たが、同じくタイムトンネルでシャドウを追ってきたキカイダー01とビジンダーが阻止。
ビジンダーの人間体・マリを演じたのは志穂美悦子で、椎名美里を演じたのも彼女である。
志穂美悦子は平賀源内と縁がある。

1720年、吉宗がキリスト教と関係のないものに限って洋書の輸入を一部解禁し、青木昆陽(1698~1769)に命じて甘藷を普及させた。この青木昆陽の弟子に前野良澤(まへのリヤウタク、1723~1803)がいた。
杉田玄白(1733~1817)は平賀源内とも知り合いで、カゴ直利が描いた日本史の漫画では、源内が人を斬って投獄されたあと、玄白が源内のいる牢屋を訪れる場面があった。

『蘭学事始』が出たのは1815年、一般に出回ったのは明治になってからであった。

吉宗→青木昆陽→前野良澤&杉田玄白の流れで蘭学が盛んになったが、ロシア擴大とアメリカ独立(1776)、フランス革命(1789)の時期に寛政の改革(1786~93)をおこなった松平定信(1759~1829)が1790年に「寛政異学の禁」で学問を統制。
定信が仕掛人・小杉十五郎を用心棒にした1798年、本居宣長(1730~1801)が『古事記傳』を發表。尊皇攘夷運動のもとになった。
一方、蘭学のほうはシーボルト→高野長英の系統で盛んになりかけたが、これも蛮社の獄で弾圧された。

小学館『月刊本の窓』2009年8月号には、夢枕獏の小説『大江戸恐龍伝』第71回が掲載されており、その話には平賀源内が登場する。

補足
『仕事人アヘン戦争へ行く』によると1842年当時の日本にはまだ源内が生きていて、中村主水や秀、勇次、順之助(エレキテルや磁石、投石機などを使用)、加代、おりくに協力。
しかし天保年間に源内が生きていたという解釋は無理があり、この当時、牢屋にいた蘭学者は高野長英である。長英は何をしていたのか。『アヘン戦争へ行く』で源内は113年の生涯を閉じている。
『必殺仕切人』の「もしも鳥人間大会で優勝したら」では勇次が仕切人として活動していた時代に源内が生きていた。仕切人時代の勇次は主水、秀、加代、順之助、おりくのグループが解散したあとに別のグループに参加していたわけで、天保後期に源内が生きていたとしても時代が逆戻りしている感がある。
仕切人時代の勇次の活動期間は源内の存命時期を無視すると1842年から1851年までの10年弱。『主水死す』で主水が水野忠邦を暗殺したのが1851年と思われ、前年の1850年に長英が没している。

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