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1970年(5)71年、72年I、1972年II~73年I73年II『侍ジャイアンツ』が描く西暦1973年(1)


 1972年(昭和47年)、田中角栄が首相になり、日中国交回復。あさま山荘事件でカップヌードルが全国的に有名になった。

『侍ジャイアンツ』で番場蛮と八幡太郎平が飛騨の雪山で特訓し、そこで大砲万作に出会う。中日ドラゴンズの監督になった与那嶺要が大砲を獲得。番場蛮と対戦することになる。番場はオープン戦で、当時、稲尾監督と東尾投手のいた西鉄と対戦し、西鉄ファンから稲尾和久現役時代の再来のように言われた。試合で大砲と初対戦したとき、番場蛮は名古屋に向かう新幹線の中で藤田元司ピッチングコーチ(1931~2006)から先發を告げられた。藤田元司は星飛雄馬がいたときもピッチングコーチで、のちに監督としてやはり対中日戦で番場蛮の甥を起用することになる。
└→『侍ジャイアンツ』に出てきた「王監督」、「長嶋監督」

 原作では72年、番場は大きな投球動作を、また、眉月に読まれ、王の助言でハイ・ジャンプ魔球を開發。高くジャンプして高所から投げるもので、剛速球が急角度でストライクソーンの上をかすめ、打者には打ちづらいとされる。しかし、柳田理科雄が『空想科学漫画読本』で指摘しているように、ボールの角度を急にするなら地面に足をつけて急角度で投げ上げればいい。これを実践したのが『大甲子園』の犬飼知三郎のマウンテンボールと、『ドカベン・プロ野球編』の坂田三吉の「通天閣投法」である。
└→1972~73年――スラッガー藤娘と白虎隊、ショーマン投手、あぶさん南海入団

2005年、声優交代直前の『ドラえもん』で「13年目のプロポーズ」放送。
これは「プロポーズ作戦」のリメイク。「プロポーズ作戦」では71年が「現在」で、のび助(初代?)と玉子の12回目の結婚記念日であり、婚約と結婚は1959年であった。
一方「13年目の~」では、「現在」が野比夫妻の13回目の結婚記念日。時代設定は不明。野比夫妻は「13年前」に多摩川動物園でデートしたことになっている。
これが初期原作の設定どおり、1959年だとすると、婚約当時のことについて1971年と72年の2回も夫婦で意見が食い違ったことになる。また、放送当時の西暦2005年という時代設定だとすれば、リメイク版ののび太は1994年生まれで、野比夫妻の結婚は1992年になる。この「92年」は初期原作でのび太の息子・ノビスケが(2世?)2002年で10歳と假定した場合のノビスケ(のび助の孫)の生まれた年である。
└→2005年――『1リットルの涙』、偽『ドラえもん』最終回について(+本物のアニメ『ドラえもん』声優交代)

『ドカベン』文庫5巻で鷹丘中学3年野球部の主将だった岩鬼が職員室を訪ね、教員に野球部監督を依頼。このとき、岩鬼は高倉健鶴田浩二のまねをしていた。岩鬼によると、この時期、東映劇場で「網走と特攻隊の2本立て」をやっていた。
『網走番外地』は1965年から72年まで公開。
『最後の特攻隊』は1970年公開。

アニメの『侍ジャイアンツ』第3話「でっかい奴は嫌いだぜ!」(東京MXテレビ2009年4月12日再放送)では1972年のドラフトで川上監督が番場蛮を指名。作中の某スポーツ記者はこの直前まで巨人が「タクエツ学園のセガワ(卓越学園の瀬川?)を指名すると予想していた。これはアニメ放送が始まった73年のドラフトで阪急から指名された作新学院の江川をモデルにした名前であろうか。

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2008年9/16