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1970年(1)、(2)、(3)(4)(5)

飛雄馬は大リーガーと対戦し、アメリカ人選手は消える魔球を知らず完敗。しかし、A・オズマから情報を得ていないのは不思議だし、アメリカ代表がサンフランシスコ・ジャイアンツで、オズマのカーディナルスでないのが不思議だ。帰国後のオズマは見えないスイングで大活躍したはずだ。この時期はベトナム戦争に参戦していたのだろうか。

 

「ドラえもんの大予言」では、2月6日、のび太は車にひかれ、重症を負うはずだったが、ドラえもんとセワシの働きで、のび太はミニカーを額に受けた軽傷ですんだ。もっとも、「無事故でけがをした話」でドラえもんは「過去を勝手に変えてはいけない」と言っていた。ドラえもんはタイムパトロールから許可をもらっていたのだろうか。
└→1980年、81年

 

中日の一徹・伴コンビは消える魔球に挑む。川上監督は大LB1号による併殺を狙って星飛雄馬を起用。代打・伴は逆方向のスイングで1号をファウルし、そのたびに倒れて体重で土を固め、ボールを隠す土煙を防いだ。しかし、川上監督の指示で飛雄馬は2号を外角に外しており、伴が打った結果は。一徹のサインミスと想われているが、しかし、もしサインがなくても伴は打った可能性があるし、打たなかったら巨人バッテリーがタイムをかけ、打席附近の土をかきならしただろう。
つまり、伴が大LB2号を打つチャンスは、実際に打ったときの1球以外になかったわけだ。結果として投飛になったが、もともと、縱変化の魔送球を打つこと自体が「悪球打ち」であり、外角外れだったとしても、伴が打って幸運な内野安打になる可能性もあった。
└→魔球・ボールが消えるもの
└→打法・悪球打ち

 

消える魔球は花形によって打倒される。花形の打法は3塁走者協力→帽子落とし→一本足打法で、長嶋は伴の体重地固め策と花形の前の2つの策に初めから気づいていたと言ったが、伴の策のとき、長嶋は予想外のように驚いていた。
└→花形、大リーグボール2号を打倒
└→1970年前半戦、星飛雄馬の登板はたったの2試合

 

KC18巻、文庫10巻「青春のぬけがら」
└→1970年(3)――オールスター前後、オズマ3度目の来日

 

補足
実際はこういうスケジュールだったらしい。
4月2日 巨人×ヤクルト(オープン戦)、金田正一引退試合
4月12日 巨人×中日(開幕第1戦)
4月19日 巨人×阪神
4月27日 巨人×大洋
7月18日 オールスター第1戦(神宮球場)
7月19日 オールスター第2戦(大阪球場)
7月21日 オールスター第3銭(広島市民球場)
└→1970年春、プロ野球シーズン開幕後の前半戦