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第92話「折り合わぬ契約」69年初め、宮崎キャンプ、中尾二軍監督が語った東映の選手


 一方、飛雄馬とルミは宮崎キャンプ(豊福きこう氏によると2月)で喧嘩別れになった。飛雄馬がルミに気をとられて伴の返球を後逸し、看護婦・日高美奈(1951前後~1969)が連れてきた幼い少女(よっこちゃん)にボールが当たってしまったことがきっかけ。日高美奈の職場は宮崎市の山奥で沖竜太郎医師が所長を勤める診療所であった。
 アニメではキャンプ前にルミ自ら身を引いた。オーロラ三人娘が3月1日に宮崎公演。パパラッチのせいで橘ルミは片足を負傷し、痛みをこらえて舞台に立った。その代わり、アニメで飛雄馬はルミでなく、ただの女子学生に気を取られてボールを後逸という情けない展開になった。そこで知り合ったのが看護婦・日高美奈であった。飛雄馬はデートを重ねるが、川上監督から金田正一、宮田征典(みやたゆきのり)とともに飛雄馬も二軍落ちを言い渡された。

 のちに『巨人の星外伝・それからの飛雄馬』によると、宮崎の民宿「うなばら荘」のむすめ・陽子は星飛雄馬とのツーショットの写真を一枚、アルバムに残しており、「星投手が巨人に入団した年、はじめて宮崎キャンプにきたとき、青雲高校時代から大ファンだったので、せがんで写真撮影してもらったの」と言っている。陽子はこれを73年ごろに日向三高の甲斐監督に話した。しかし、星飛雄馬が巨人に入ったのは67年秋以降、後半戦のシーズン中で、67年の宮崎キャンプは半年前に終わっており、飛雄馬が入団したあとの最初の春季キャンプは68年初めのもので、飛雄馬は台湾キャンプに参加し、宮崎にいたのは伴宙太。そのあと飛雄馬は一軍に上がった。
 星飛雄馬が新春の宮崎キャンプに初めて参加したのはこの一軍2年目の橘ルミ、日高美奈と出会った時期であった可能性が高い。陽子はおそらく、69年のキャンプ字飛雄馬と初めて出会って、あとで記憶が混乱して、それを飛雄馬のデビューの年と勘違いしたのであろう。

 飛雄馬は日南海岸で美奈が黒色肉腫で余命わずかであることを美奈自身から聴かされる。飛雄馬は都城の二軍戦で自滅。そこで美奈は死去。
 飛雄馬はやる気を失っていたが、花形が飛雄馬を呼び出して殴り倒した。
 ドラマ『李香蘭』によると映画『支那の夜』では日本人船員が中国人少女を殴る場面があり、その少女が殴られた相手に惚れる展開だったらしい(Wikipediaによると『支那の夜』は中国で『上海之夜』という題になり、戦後は『蘇州之夜曲』に改題)。
 女が男に殴られたら、殴った側は婦女暴行罪となることが多いが、女は女を殴っていい特権を持っており、男は殴られても一向に同情されない。飛雄馬を殴った人間は星一徹のほか、日高美奈、花形満、星明子もいる。伴宙太は人を殴ることは少なく、もっぱら星や花形を柔道で投げていた。一徹と明子は親子だから似ているのは当然。美奈と明子子が似たタイプであれば、飛雄馬が美奈に惚れたのは当然で、伴は「弟をしかる姉のごとし」と評した。花形が明子と似ているなら、のちに夫婦になったのもうなずける。

1969年、飛雄馬は美奈に殴られて皆に惚れたが、美奈は1969年に病死して飛雄馬の恋は終わった。
1970年、京子は飛雄馬に殴られて飛雄馬に惚れたが、飛雄馬の失踪の後、1971年に京子は左門の妻となった。

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1969年

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2008年9/15