一徹と明子が家にいたとき、川上哲治が突然、訪れた。星家には電話がないので、電話で事前の連絡はできなかったが、のちの中日ドラゴンズ関係者のように、封書などで来訪を予告してもよかった。ここで一徹と川上は互いの妻を褒め合い、川上の現役時代、妻は一人、熊本に残り、農作業をやっていたらしい。今の若いタレント夫婦の権利意識でいけば、即、離婚であろう。

 川上は一徹に二軍コーチ就任を要請。川上は一徹を巨人から追放し、一徹の息子が巨人選手になったら、一徹に復帰を要請した。この調子のいい要請を一徹は拒否。川上と一徹の会話はマスコミに嗅ぎ付けられ、記事になったが、原作ではどうやって撮影したのか、交渉の様子を写した写真まであった。
 怒った明子は長屋を出て、飛雄馬のマンションに移る。
 飛雄馬と明子の引っ越したマンションは東京タワーのすぐ近くだった。飛雄馬はオーロラ三人娘(アニメでは橘ルミ、桜井エミ、松田マキ)の橘ルミと交際を始める。きっかけは大橋巨泉司会のボウリング大会。

 中日関係者が料亭で一徹にコーチ就任を要請。アニメでは水原監督も同席し、一徹と同じ巨人OBであることが強調され、そのOBが巨人を倒すのが日本プロ球界のためになると水原は言った。水原監督は何年かかっても中日優勝を実現させると言い、その苦難もシベリア抑留の経験と比べれば、物の数ではないと言う。一徹は中日コーチに就任し、オズマを獲得。そして、中日優勝はやはり巨人OBであった後任者・与那嶺要によって1974年に実現することとなる。
Cf.水原茂が語ったシベリア抑留の地獄

 明子が一時、長屋に戻って、世話になった伯母さんに見せた飛雄馬の高校時代の新聞が『学園新聞・青雲高野球部』で、見出しが「危うし野球部、チームワーク」。これは一徹が監督になる前。一徹が青雲の監督だったある日、地区予選まで三日となった日の翌日に「へそ作戦」となっている。日付が「昭和44年10月3日」とあり、これは前後のストーリーと合わない。

 中日が一徹にコーチ就任を要請したのは巨人軍自主トレスタートの時期。

映画『ニクソン』では1969年から74年までアメリカの大統領を勤めたリチャード・ニクソンの半生を描いているらしい。

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2008年9/15