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星飛雄馬少年時代1960年代の始まり、1964年、日本柔道1965~66年(1)66年(2)~67年
─────────────└→1962年、1963年


東京オリンピック
1964年、東京オリンピック。戦争がなければ1940年に開催されていたはずだった。

この大会で、日本柔道の選手がオランダのヘーシンク(Geesink)に敗れた。
ドラマ版『柔道一直線』によると、この大会で主人公・一条直也の父親も敗れ、命を落としたらしい。これは同じ梶原一騎が作った漫画『柔道讃歌』でも日本柔道の悲劇として話題になっており、水島新司の『ドカベン』でも講道館で館長が師範九段伊賀谷栗助(=イガクリ)と「日本柔道の弱体化と復興」を話題にしていた。

この日本柔道の敗戦は日本人にとって相当、ショックだったようだが、2006年にアメリカでの国際野球大会で王ジャパンが優勝したのと同じである。この場合、野球はアメリカのお家藝だったはず。それでアメリカが落ち込んでいるとも想えない。オリンピックで日本が金メダルを獲るたびに、そのスポーツの發祥の地の人々が涙にくれる話は聴いたことがない。

「戦争」に関しても日本は一度負けただけで、負けた戦争とその時代を全否定するが、オリンピック出場や誘致を負けても懲りずにやるのは矛盾している。中国はアヘン戦争と日清戦争で負けても、日中戦争で勝ち、軍備を増強している。世界の国々は負けたら「次はどうしたら勝つか」ということを考え、それが「反省」になる。
「戦争は無益だ」ということばは、「有益であれば戦争をやっていい」ことに繋がるし、「負ける戦争をしたのが悪い」という考えは「必ず勝つ戦争ならしてもいい」という結論になる。これでは真の「反戦」とは言えない。

日本のマスコミの五輪騒ぎは戦争と似ている。敵と自分の戦力差を分析せず、「勝てる」「勝てる」と信じて負けたら呆然。これは2006年のトリノ五輪まで変わっていない。
違うのは、戦争に関しては1945年に負けた段階で戦争そのものをやめ、「次の戦争で勝とう」と考えないのに対し、五輪に関しては負けても、負けても、挑戦することである。
世界各国は戦争に負けた反省は「次にやるときは勝つ」というもの。
中国はアヘン戦争で英国に負け、日清戦争で日本に負け、中華民国時代の「抗日戦争」でも戦って、やっと勝利した。
「戦犯」は日本のスポーツ新聞でよく使われることばだが、戦争責任が「戦争をした責任」なのか、「負けた責任」なのか、はっきりさせないと、真の「反省」などできないだろう。

野比のび太誕生
『ドラえもん』てんとう虫コミックス第2巻収録「ぼくの生まれた日」によると、この年、8月7日に野比のび太が生まれた。のび助は病院で誕生直後ののび太と対面する直前に、10歳ほどに成長したのび太と自宅で対面している。
1964年度(1964年春~1965年春)は『3年B組金八先生』第1作(1979~80年放送)の3Bの生徒たちが生まれた時期である。生徒を演じた俳優たちの生まれた年はもう少し前後に幅がある。

映画『リリィ、はちみつ色の秘密』の時代設定は1964年。
1965年に古田敦也と秋篠宮文仁親王が誕生。


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2008年9/15