Y!Japan Y!辞書 Google Wikipedia 雅虎 谷歌 Y!Korea Amazon

WBCで優勝した「侍ジャパン」にちなんで、武士道と野球の関係を考えてみる。

 

日本は野球の輸入国であるから、漫画で野球を描く場合、最初は投手と打者の個人の勝負に注目し、それを武蔵と小次郎の剣の対決、猿飛佐助と服部半蔵の忍術の対決、または姿三四郎の柔道のような個人対個人の戦いに置き換えた。
 
そして野球を受け入れる土壌ができてから、チームプレーの野球を描く野球漫画が普及していった。

 

野球と忍術
野球漫画では初めはボールが忍者のように消えたり分身したりした。『ちかいの魔球』『黒い秘密兵器』のころである。
『忍者ハットリくん』ではハットリくんが「野球は忍法に似ている」(要旨)と述べている。
『黒い秘密兵器』の椿林太郎は伊賀忍者の子孫であり、『一球さん』の真田一球は真田の忍者の子孫。
真田一球は盛んに戦場での侍の精神を野球に持ち込み、戦場では大将の命令は絶対だということを信条にしていた。
『侍ジャイアンツ』も川上監督がグラウンドという戦場の策士で、番場蛮が戦う侍であった。

 

打撃と剣術
『必殺仕事人』によると、1858年、中村主水が日米対抗の野球の試合を任されたとき、日本には野球選手など、まだいるはずがなく、主水は日本代表選手として居合い抜きの名人や飛脚を集めたようだ。
1974年、『侍ジャイアンツ』では太刀風兵庫が剣術を応用した打撃を使い、対戦相手が負傷者だらけになった。
おそらく1974年ごろ『野球狂の詩』ではヤクザ出身の北海安吉がバットを長ドスに喩えている。
また、『男どアホウ甲子園』の左文字は丹下左膳のような片目、片腕の男で、居合い打法を得意としていた。
『大甲子園』に登場した紫義塾は剣道部が野球部になったようなチームで、武士道を野球に持ち込んでいた。

 

野球と格闘技
梶原一騎が『巨人の星』と同時期に描いた柔道漫画が『柔道一直線』で、『侍ジャイアンツ』と同時期に描いた柔道漫画が『柔道讃歌』であった。

 

『巨人の星』の伴宙太は柔道から野球に移った。星飛雄馬は大LB1号を編み出すためにボクシングと剣道の練習をしたが、伴から柔道を教わればよかった。
『侍ジャイアンツ』の番場蛮は原作でハラキリ・シュートのときに、打者のピッチャー返しを防ぐために空手を教わったが、それは打球を足で蹴るもので、サッカーを習えばよかったように想う(注釋)。
アニメの番場蛮は分身魔球を編み出すために空手を習ったが、その師匠は『空手バカ一代』の原作とアニメの主人公を合わせたような人物であった。ジャックスが縱分身を打ったときも、試合前にウルフと一緒に空手の同情を訪れている。

 

『ドカベン』の山田太郎は相撲(小学生時代)→野球(中学)→柔道(中学)→野球(高校→プロ)という形で、格闘技と野球を両方やっており、他のライバル、仲間たちにも共通した経歴が多い。
雲竜は相撲から野球に移った選手であり、岩鬼、影丸、賀間、木下は柔道から野球に移った選手である。