Y!Japan Y!辞書 Google Wikipedia Y!China(雅虎) Google China(谷歌) Y!Korea アマゾン
星一徹復員、李香蘭帰国『純情きらり』『ドラえもん』、シベリア抑留、『はだしのゲン』戦後編(1)(2)


日本兵の多くは赤紙で召集され、軍服を着せられた日本市民であるが、ソ連によってシベリア抑留の地獄を味わった。
1969年初めに水原茂が星一徹に語ったところでは、水原は昭和17年(1943年)に戦争に取られ、戦後も4年間、極寒のシベリアで強制労働を経験(アニメ版『巨人の星』・第96話「水原監督と父一徹」)。シベリア鉄道敷地のための路盤作りの作業で、凍った地面にツルハシが立たない零下30度の寒さでの重労働により、多くの戦友を失ったらしい
また、新宿住友ビルで観た展示によると、当時、あの三波春夫もいて、歌を歌って他の兵士をなぐさめていた模様。

モンゴルには日本人抑留者の慰霊碑があるようで、2007年(平成19年)に皇太子が訪れた。
アニメ版『巨人の星』で画面に映された1949年(昭和24年)7月15日の「第10次歸國者名簿」に水原茂の名が書かれていた。24日の午後、水原は古巣の後楽園球場に戻り、七年ぶりに踏んだグラウンドの土の上で、満員の観客に「水原、ただいま帰ってまいりました」と落涙して挨拶。
この年だったか覚えていないが、大河ドラマ『いのち』の主人公(女医)の父親もシベリアから帰国したらしい。財閥解体、農地改革の時代を描いた作品だったと想う。

この年、1949年(昭和24年)にのび太とドラえもんが洋画家・柿原を訪ねた。アパートは「落目荘(おちめそう)」。のび太たちは当時、中学生だった父・野比のび助の描いた絵を購入(『ドラえもん』・「この絵600万円」)。

おおよそ、このころに『巨人の星』の花形満、左門豊作、伴宙太が生まれたはず。

河崎実は『「巨人の星」の謎』(宝島社、93年)で『新巨人の星』での鷹ノ羽圭子登場前後の描写から、花形満の誕生日を「7月8日」と推定している。


1949年、湯川秀樹がノーベル賞受賞。

1949年、横濱軍事法廷でBC級戦犯に対する最後の判決が言い渡された。2008年12月7日放送のNHK『最後の戦犯』によると、見習士官・吉村修は「終戦」直前に上官の命令で米軍捕虜を処刑。戦後、岐阜県多治見市の陶器工場で偽名で働いていたが、占領軍の戦犯追及は彼にも及んだ(朝日新聞2008年12月7日、テレビ欄)。
『忠臣蔵』で言えば、介錯人を裁くようなものであるが、上官が処刑されたのかどうか、気になる。まこと軍人であれば、「上からの命令にしたがっただけ」と言って罪を逃れようとするはずがなく、死を恐れず、かつ、上官に代わって日本の戦争の正当性を主張して処刑される道を選んだはずだ。実際の元兵士が必ずしもそうでなかったとすれば、「軍国主義」の教育はそれほど徹底していなかったことになる。




平和祈念展示資料館 ( 歴史 ) - かつて日本は美しかった - Yahoo!ブログ
2009/6/21(日) 午前 7:07