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打法・悪球打ちI、〃II〃III

悪球打ち
『ドカベン』の岩鬼が代表格だが、岩鬼は少年野球時代、強打者ゆえに敬遠され続け、高目の悪球を打つ訓練をした。すると、低めだろうが、外角だろうが、ビーンボールだろうが、太陽光線でボールが見えない状態だろうが、悪球なら何でも打てるようになり、逆にストライクが打てなくなった。
岩鬼に四球出塁はないように想えるが、岩鬼は鷹丘中学時代、対東郷学園戦で四球を選んだことがあり、高校時代も光高校との対戦で、敬遠で出塁した。

 

 

また、岩鬼の悪球打ちの場合、初期の対雲竜戦の前後では「自分に向かってくるボールへの闘争心」と説明されていた。また、別の試合で岩鬼がピッチャーになったとき、ストライクを投げようとすると悪球になり、打者にぶつけようとするとストライクになるなど、何でも普通と逆であることが強調されていた。

 

 

 

緒方勉のフォークボールを打ったとき、岩鬼にとってはボールが見えないことが最高の悪球=絶好球となることが判明。そうなると、いつでも目を閉じて打てばいいはず。
高3のときの対白新戦で岩鬼は目を閉じて打ったが、外野がフェンスを駆け上がって捕球し、アウトになった。一方、その次の甲子園での対巨人学園戦では太平監督の眼鏡を使ったが、度が強すぎて見えず、打てないので、眼鏡を監督に返却、バントで1塁打にした。
このあたり、ボールが見えないと岩鬼には打ちやすいのか打ちづらいのか不明である。
中西球道のカーブは岩鬼にとって悪球=絶好球で、岩鬼が打って、投直になったことがある。

 

 

 

岩鬼がストライクを悪球にする努力は、後半では見抜かれるようになった。
対白新戦で岩鬼は眼帯をし、不知火は絶好の悪球を投げ、岩鬼はど真ん中なら打てるスイングで空振り。次はスローボールを空振り。最後は眼帯を外してど真ん中を空振りした。

 

 

 

眼鏡打法は、最初高2初めの春選抜、対土佐丸戦で使用。犬飼武蔵は「笑わせて投球を乱す作戦」と考え、ど真ん中を投げて打たれた。要するに眼鏡や眼帯を使った岩鬼は普通の強打者になるわけだ。次の打席で武蔵は「眼鏡でど真ん中が悪球になるなら、悪球はど真ん中に見える」としてビーンボールを投げたが、岩鬼の身体に当たって触身球。対白新戦ではダテ眼鏡をかけて悪球を誘って成功。対室戸戦ではコンタクトレンズを使用したが、打ったあと、自分で作戦をばらし、レンズも紛失した。