「帝国軍人」は今と同じ普通の人だった(『私は貝になりたい』)
中村獅童主演のドラマによると、1940年に陸軍に召集された加藤哲太郎は「終戦」当時、外国語が得意ということで、新潟で俘虜収容所の所長をしていた。玉音放送から数箇月前、逃亡を図った捕虜が処刑された。その処刑のとき、哲太郎はいなかったようだが、哲太郎は戦争が終わって部下が罰せられることを予想し、自分が罪を背負って逃走。所長なら部下の罪を背負うのは当然で、時津風邪部屋の元親方やオウムの麻原も見習うべきである。
世間で言われる「無条件降伏」とは誤解であり、実際は「有条件降伏」だった。俘虜収容所関係者はBC級戦犯として裁かれることとなった。それは『戦場のメリークリスマス』でも同様である。

 

 

「終戦」から3年、哲太郎は逮捕された。
1948年師走から始まった軍事法廷で、哲太郎は絞首刑を宣告された。家族は必死に助命嘆願の運動をするが、急速に進む戦後復興の中、その声はかき消されていったらしい。つまり、1945年8月15日は戦闘行為の終結であり、その後の軍事法廷こそ日本の戦争の正念場であった。ところが日本の大衆は、日本の政府と軍が負けると、途端に責任を放り出して復興に夢中になり、元軍人の名誉を守ること、戦争の功罪の検証、反省などすっかり無視してしまった。家族がマッカーサーに直訴、加藤哲太郎は終身刑に減刑、すぐに禁固30年となり、1958年出所(Wikipedia「加藤哲太郎」より)。

 

 

フランキー堺主演の『私は貝になりたい』では、同じ境遇の主人公・清水豊松が絞首刑となり、「生まれ変わるなら、私は貝になりたい」のことばで終わる。このテレビ版が放送されたのが1958年だったらしい。
もし、日本軍人が本当の帝国軍人、言い換えれば軍国主義者であるなら、国が負けた時点で自分たちが処刑されることは覚悟の上であるはずだ。むしろ、自分が裁かれる法廷の場で、パール判事と同様、勝者による裁判の問題点、さらに歴史上、アングロ・サクソンが重ねた罪を並べ、日本の戦争の正当性を後世に残すため、ことばで戦ったはずだ。そして、多くの戦友、戦争指導者とともに靖国に祭られるなら本望と、処分を受け入れたはずである。

 

 

実際の日本兵士が、「敗戦」のあとに弱腰になって、「自分の意思ではない、上官の命令だ」などと、元時津風邪部屋力士のようなことを言うとことから見て、日本軍人は対して皇民化教育に影響されていなかったわけで、半世紀以上前も今の人と同じ意識を持っていたことがわかる。
つまり、第2次大戦当時、「日本軍国主義」という得体の知れぬ化け物がいて、人々があやつられたような歴史観は、余り正しくない。命令にしたがった結果、あとで上司と部下の責任問題になるのは、最近の食品の賞味期限や生産地の改竄でもあったと想う。

 

 

江戸時代の奉行を主役にした時代劇では、白州で犯罪の首謀者が「子分たちが勝手にやった」と言い、子分は「親分の命令で」と開き直る場面が多かった。もし、逆に首謀者が「子分のしたことについては全部、俺の責任」と言い、子分が「あっしらがしたことで」と言えば、むしろ、評価は違っただろう。残念ながら現代の裁判制度では、辯護士という者たちの入れ智慧もあり、被告とされた者がいかに罪を逃れるかが法廷戦略となっている。相撲部屋の事件、食品の安全性での関係者の「ひとごと」のような態度は、すべて、辯護士、法律が支配する社会での、法廷を意識した戦略であろう。

 

 

沖縄の集団自決に関しても、日本軍人は軍服を着せられた市民にすぎない。「終戦」から六十年たっても自殺の強制は「無理心中」という言い方で、半ば、正当化されている。戦争や軍隊だから悪いという問題ではない。
沖縄でアメリカ兵(つまり、昨今、はやりのことばでいうヤンキー)がやっている犯罪も、アメリカ人が民間人だとしても、アメリカ人でなくて中国人や朝鮮人でも、不心得者が同じ罪を犯していた可能性がある。では、どう防衛するか、それが重要である。

 

〔1958年「私は貝になりたい」ダイジェスト

午前8:48 · 2020年7月13日

 

時代劇では白州で悪人の親分と子分が責任を押し付けあう醜態が定番だった。「抗命権」の考えは末端兵士の自己責任。織田信長のやった非道の罪は秀吉や光秀にもあった。「私は貝になりたい」の主人公は敗戦国の元軍人として罰を受ける覚悟が足りなかったようだ。

午前9:00 · 2020年7月13日

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二・二六事件のときは命令を受けた兵士たちも裁かれるべきだったということだろう。上官が「部下に罪はない」と言って一人で罪を背負うのは「美談」ではない。戦後、被害者家族が旧敵国の人と会って「貴方たちは任務を遂行しただけ」と言って解するのも無理になる。

午前9:09 · 2020年7月13日

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「私は貝になりたい」の主人公が、もし「軍国主義」に染まった帝国軍人なら、罰を受けて「国に殉じる」のは覚悟の上。その一方で、法廷で開戦の「大義」を論じ、米軍兵士個人の戦争責任を論じただろう。戦中・戦後を生きた日本人はそれができなかったようだ.。

午前9:16 · 2020年7月13日

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関連語句
貝になりたい[1]〕~〔貝になりたい[2]〕~〔貝になりたい[2]〕
私は貝になりたい
作品 [1] [2](「戦後」復興期)

参照
平成20年BLOG