2008年5月下旬、瀋陽の9・18資料館を見学したが、あれは反日博物館であって、反戦博物館ではない。

日本では戦争で日本人がどれだけ被害を受けようと、それは加害者だったアメリカやシナのせいとは余り考えず、漠然と「戦争」という環境のせいだと考える。
戦争という狂気が互いの憎しみを生むのだという解釋で、アメリカもシナも日本も互いに戦争をして相手の憎しみを増大させたのが「不幸」だった。そういう認識が日本では支配的である。

一方、中国の「歴史を鑑に」という考えは、戦争が悪かったとは考えず、あくまで「日本が悪い」という恨みに終始している。
したがって、中国側はこれを平和のためと言うだろうが、日本側から見れば「中国は戦争が終わって日本と国交が回復しても日本を恨み続けていて、いずれ中国は日本人を皆殺しにしようと、日本を攻撃してくるだろう」と考え、この手の反日資料館が中国脅威論の根据にされる。

もし、日中戦争の悲劇が「戦争のせい」でなく、「日本のせい」なら、今すぐにでも「日本」という国をなくせば世界は平和になるはずだ。例えば、日本列島をアメリカの州か中国の省にしたら、パレスチナでもイラクでもインド周辺でも戦争は一切、なくなるだろうか。

中国人は戦争で受けた被害を「戦争のせい」とは考えない。
各種の資料館でも相手国が中国を攻撃したのを悪と決め付け、逆に義和団や満洲での対日運動など、中国側が起こした戦乱、戦争を美化している。
これではかつて日本が宣傳していた「鬼畜米英を撃滅すべし」と同じで、中国の歴史観は大東亜・太平洋戦争中の日本のレベルから進歩していないことになる。

中国側の歴史観を日本人が学ぶと、結局、通州事件に関しては中国を憎み、日中戦争はそれに対する義和団のような運動であり、また、原爆や在日米軍の暴行のような米軍の横暴を忘れてはならないから、いずれ、第2、第3の真珠湾攻撃も辞さないということになり、Gégēn廟事件に関してもロシアに対して恨み続けることになる。

逆に日本側の歴史観を中国側に応用すると、日清、日中戦争で中国が受けた悲劇は当時の国際情勢のせいであり、日本や欧米各国だけでなく、当時の清や中華民国の対応に問題があった。義和団や抗日戦争のような中国側からの暴力による報復が相手の憎しみを増大させて、中国への攻撃の口実を与えたということになる。

今回の瀋陽旅行で中国人側はしきりと「ダライ・ラマ一派は麻原の仲間で北京五輪を妨害している。自称チベット人は実は日本人だった」と言っていたが、余り意味がない。
まず、北京五輪が妨碍されたところで、中国側が大騒ぎするのは幼稚である。北京五輪などなくなったら、なくなったで、対策を考えればいいわけだ。
また、「聖火ランナーを妨害した自称チベット人が日本人だった」というのも、中国人が国や民族、国民を単位にものごとを考えている証据である。
聖火ランナーの妨害(or妨碍)は中国人の反日暴動と同様、表現方法として感心できないが、運動する人が示しているのはその思想であって、妨害者がナニジンであるかは関係ない。実際、チベット人が何らかの不満を持っており、それに同情した人が運動をするのであって、妨害者がチベット人だろうと、チベット系日本人だろうと関係ない。