Y!Japan Y!辞書 Google Wikipedia Y!China(雅虎) Google China(谷歌) Y!Korea アマゾン
日清、日露戦争、ハレー彗星(1910年)、日韓併合辛亥革命第1次世界大戦シベリア出兵


ハレー彗星(『ドラえもん』)
さて、日韓併合と同じく1910年、ハレー彗星が地球に接近。
『お~い!竜馬』と『必殺仕事人V』(下注釋)で記録されたハレー彗星が、また、地球の近くに戻ってきた。ハレー彗星の公轉周期は76年と言われながら、完全な「365日の76倍」ではないので、接近の間隔が1年ずれることがある。
『ドラえもん』の「ハリーのしっぽ」によると、1910年当時の日本では「ハリー(ハレー彗星)の尾が地球を包むと危険だ」という流言があり、人々は酸素ボンベ代わりに自轉車チューブを奪い合ったらしい。野比のび太の曽祖父・のび吉(当時は少年)もその一人だったが、チューブは他人に先取りされてしまっていた。

タイムマシンで西暦1985年(昭和60年)からこの時代にやってきたドラえもんとのび太がのび吉に浮き輪を提供。ドラえもんたちはその直後、ハレー彗星を目の当たりにした。ハレー彗星の尾は地球の大気にはねかえされ、人間はチューブなど使わなくても無事であった。のび吉が1910年当時、満10歳とすると、1900年生まれになる。数え年で10歳なら1901年生まれで、花村紅緒(1902?~)、おしん(1901~)と同世代、キャンディス・ホワイト(1898?~)とも近い年齢になる。
www.peko-peko.jp/chronology.html
のび吉は次のハレー彗星の接近に備え、浮き輪を箱に入れ、庭に埋めた。これは75年後の西暦1985年、ドラえもんとのび太が掘り出した(下注釋)。

映画『鳳凰』も1910年代の中国が舞台。


2010年のアニメ「のび太の人魚伝説」(下注釋)では1910年にヨハン・マルセルという人物が人魚を見たことになっていて、のび太とドラえもんは「100年前」である西暦1910年の世界に向かった。
「のび太の人魚伝説」ののび太にとって「ハリーのしっぽ」ののび太少年時代は25年前。
「ハリーのしっぽ」を基準にすれば、「のび太の人魚伝説」は「のび太の25年後」の話である。

『のび太の日本誕生』で紹介された「神かくし」(明治~大正編)
『のび太の日本誕生』の原作65ページによると、1809年11月、豪州で英国大使が消えた。
1913年、有名な作家・アンブロース・ビアスが行き止まりの洞窟に入ったまま二度と現れなかった。
1915年8月、トルコのガリポリ半島で英国軍の一部隊が丘の上で雲に包まれて消えた。
Y!Japan ガリポリ半島 1915 雲

『99年の愛』
平松長吉は1940年で47歳なので1893年生まれとすると、19歳で渡米したのが1912年。