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日清、日露戦争ハレー彗星(1910年)、日韓併合、辛亥革命第1次世界大戦シベリア出兵
└→安重根による伊藤博文暗殺について


日韓併合(『LOST MEMORIES』『虹を架ける王妃』)
1909年(明治42年)、伊藤博文がハルビンで安重根(An Jung-Geun、1879~1910)によって暗殺された。安重根は苅谷嘉顕(かりやよしあき)のかたきを討ってしまったことになる。

伊藤博文と安重根については日本と韓国で映像作品になっている。日本ではTBS『風が燃えた』で伊藤博文とその妻の若いころを三浦友和、山口百恵が演じた。
安重根のしたことは特攻隊、または万歳突撃と同じで、星飛雄馬、『ラスト サムライ』の士族、赤穗浪士の精神である。
喩えて言えば、「終戦」直後の日本で、もし、ある日本人がマッカーサー(MacArthur、1880~1964)を暗殺していたら、GHQの支配は5年ですまず、日本はアメリカの州になっていただろう。伊藤博文は韓国をいずれ独立させるつもりでいたらしい。

映画『LOST MEMORIES』では、安重根が伊藤博文暗殺に失敗した場合の歴史を描いている。それで、日韓併合は100年続いたらしいが、伊藤博文は日韓併合に反対で、安重根による伊藤博文暗殺が併合を早めたという説もあるので、安重根による伊藤博文暗殺が失敗したら、逆に日韓併合がなかった可能性がある。

1910年(明治43年)、日韓併合。日韓併合は「国際社会」から認められたものだったが、その「国際社会」は戦争や植民地支配を繰り返してきた国々であった。その「植民地支配」も単なるコトバであって、新羅も高句麗と百済を植民地支配し、秦も楚や趙を植民地支配し、モンゴルもシナを植民地支配し、日本も朝鮮だけでなく北海道と沖縄を植民地支配した。「侵略」と「植民地支配」は既成事実となって固定化すれば「国家統一」となる。

安重根による伊藤博文の暗殺が韓国の独立でなく逆の併合を招いたことは、のちに「日本国憲法」で禁じる「武力による国際問題解決」が事態を悪化させる例であった。つまり、事後法とはいえ、安重根の行為は憲法9条違反であった。一方、ほとんど抵抗できずに殺されたのが沖縄と満洲で日本人が味わった悲劇だった。日韓併合は、併合そのものが悪かったのか、併合の方法が悪かったのか、そのあたりが曖昧になっている。

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『虹を架ける王妃』は日本の皇室の女性が併合後の朝鮮の皇室に嫁いだ話だが、すると、併合後も朝鮮の皇室は、しばらく、存続していたことになり、併合は意外と緩やかだったことになる。

2009年は安重根が伊藤博文を暗殺して100年である。
伊藤博文は1841年生まれ。アヘン戦争の最中、ジョン万次郎が無人島に漂着し、鳥居耀蔵が南町奉行に就任したときに生まれた。西郷隆盛は1827年(陽暦では翌年)生まれ、大久保利通は1830年生まれ、桂小五郎こと木戸孝允は1833年生まれ、坂本龍馬は1835年(陽暦では翌年)生まれなので、幕末~明治維新の有名人の中では伊藤博文は若手であった。
2008年12月28日