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鳥居耀蔵と遠山金四郎、『渡し人』『意外伝』、鳥居と蘭学者、仕事人鳥居失脚、長英脱獄


『渡し人』はこの時代か?
 1843年、花火の玉屋が火災を起こし、江戸から追放されたらしい。花火屋の火災は『必殺渡し人』の「花火の夜に渡します」で描かれたようだ(推測)。ここで「かまいたちの忍」と称される渡し人・鳴滝忍は表稼業が女医であり、父親がオランダ人らしい。1824年にシーボルトが開いた塾の名を姓にしているあたり、シーボルトのむすめ、・楠本イネに似ている。ただ、シーボルトはドイツ人であり、シーボルトが日本で「オランダ人」と見なされていた可能性がある。
 また、楠本イネは1826年生まれで、1843年当時は数え年18歳であるが、鳴滝忍はそんなこむすめには見えなかった。鳴滝忍はイネとは別人かも知れない。「渡し人」は鳥居耀蔵による仕事人狩りが強かった時期に結成されたとすると、無謀と言うべきか、強気と言うべきか。

 『オール江戸警察』では、当時の主水の仲間には加代、鶴のほか、剃刀使いの男、針と紐をあやつる藝者、元津軽藩士の三味線弾きもいた。同じ三味線屋として勇次やおりくも天保の改革で被害を受けただろうが、詳しくは描かれていない。
 勇次は三味線の糸が武器だが、元武士の三味線屋(「しんさん」)は柄(え)に刀を仕込んだ三味線を武器とする。蛮社の獄で滅んだ「からくり人」の三味線弾きの武器と似ている。
 鳥居耀蔵は故意に闇の会に頼み人を送り込み、それで仕事人をおびき出した。先述の剃刀使いは捕らえられ自害、藝者の仕事人は刑死。加代と元武士の三味線屋も捕まったが、主水の工作により、鶴のからくりで脱出。
 剣客・平田深喜(ひらたみき、平手造酒=ひらてみき)が千葉道場から姿を消し、主水グループへの参加を志願する。
 平手造酒については『天保水滸傳(→~伝、傳≠傅)』にも記録されているらしい。

仕事人狩りが盛んな時代に、なぜか仕事人グループが多数存在
 『仕事人V』のスペシャル版『仕事人意外伝・主水、第七騎兵隊と闘う・大利根ウエスタン月夜』によると、主水が組紐屋の竜、花屋の政と初めて会ったのはこの天保時代、1843年から1844年にかけての時期らしいが、今までの歴史から見て、とてもそうとは想えない。主水は鳥居耀蔵の仕事人狩りが盛んだった危険な時期に、複数のグループを束ねていたことになる。

政と竜(組紐屋)は1820年と1835年にも出現している。文化・文政の仕事人と天保の仕事人と別人、別世界としても、1835年は天保に入る。すると1835年は文政の仕事人の延長だったという解釋も成り立つ。しかし、わかりやすさのため、基本的に1835年は1840年代初めと同様、天保の仕事人の時代と解釋する。

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08年9/13