1701年
殿中松の廊下で刃傷沙汰。浅野長矩切腹。

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実は浅野内匠頭長矩が吉良義央に斬りかかったのは単なる乱心であり、吉良には落ち度がなかった。実母桂昌院への朝廷からの官位贈位を血で汚された綱吉が怒り、一方的に浅野家を処分。(これは正当な裁きだったが) 側用人柳澤吉保が「こんな『不公平な裁定』では幕府の人気が下がる」と悩み、吉良を悪者に仕立て上げて人々の怒りをそらそうと画策、赤穗浪士討ち入りでガス抜きをした(『時空警察』)。

ビートたけし主演の『忠臣蔵』もこれに近い解釋。

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陰暦1702年(元禄15年)12月4日
陽暦1703年1月30日
大石らが吉良邸に進入し、吉良を殺害。

赤穗浪士・毛利小平太は直前で脱退。
毛利小平太が毛利源左衛門に止められて討ち入りに参加できず、吉良が殺害された後、大石から「強く生きよ」と言われる。(1985年日テレ版)。
または、討ち入り寸前、毛利小平太がまゆというむすめをかばって死亡か(1989年『大忠臣蔵』)。

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実は踊らされていただけだと気づいた大石内蔵助は、せめて幕府に一矢むくいたいと吉良上野介を寺坂に命じて逃がす。吉良は大石ら切腹後、3年後に死す(『時空警察』)。

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1703年に大石等は切腹。
赤穗藩の足軽・寺坂吉右衛門(てらさかきちゑもん、1747年没)は吉良邸門前で逃亡したとも、討ち入り後、廣島(>広島)の浅野家などに事を報じたとも言われる。

または、吉良に替え玉がいた(『必殺忠臣蔵』)。


ネット上で公開された時事通信とVARIETYのニュースによると、アメリカのユニバーサル・ピクチャーズが『忠臣蔵』を『47Ronin』というタイトルで映画にするらしい。
しかし、『忠臣蔵』とは傷害事件を起こした人物が処刑され、その犯人の家来が被害者を追い詰めて殺した二重犯罪であり、300年余り前に47名の男が人家に押し入って老人の首を切った殺人事件である。これをアメリカ人がどう解釋するのか。日本で言われる「美談」とは見なされず、何か、不思議な別世界として、好奇の目で観られるのではなかろうか。
2008年12月11日

討ち入りから360年たった日、テレビ朝日で田村正和主演の『忠臣蔵・音無しの剣』放送。
Yahoo!Japan
└→忠臣蔵 かたき討ちではないで検索
└→忠臣蔵 田村正和で検索
2008年12月14日

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08年9/13