『紀元2600年のプレイボール』『六千人の命のビザ』 

ルールを拒否しながらルールで他人を縛りたがる人たち
「国の命令」とは「国民の命令」のことである。政府も国民の一部の集団だ。

人々が「国の言いなりにならない」などと言ったら、国法で銃を規制しても銃を持つ人が出てくるし、飲酒運轉が禁止されても飲酒運轉はなくならないし、法律で食品の安全基準を定めても守られないことになるし、病院が必ず急患を受け入れるように政府から命じられても「国の言いなりにならない」病院は急患を拒否してしまうことになる。
逆に受け入れたら規則違反になる場合、ルールを守ると人を見殺しにする危険性がある。

駐車違反への規制が厳しくなると、宅配便や引っ越し業者が業務でやってきたことが、法改正の日を境に突然、「犯罪」になる。法律とはそんなものだ。これが急病人を搬送する車の場合、法を守ったら病人を見捨てることになる。だから、「違法駐車」になるのを覚悟して病人を搬送するという判断もありえる。

「300日規定」なども法律である。憲法を改正しようとしている政権が、それより古いものが多い一般法を改正しようとしないのは、まったく矛盾している。そして、人間はルールに守られながら、ルールから脱却しようとするのである。

大東亜・太平洋戦争で、日本とアメリカはどちらも国際法違反となる攻撃をしながら、相手が自国にやった攻撃を「国際法違反」と主張して非難した。
日本でも、大東亜戦争時、日本の軍人がおこなった罪が「国際法違反」であることについて、「国際法など罰則規定のない紳士協定だから無意味」と言う人がいるが、そういう人も日本が受けた空襲、原爆投下、あるいはアメリカのイラク出兵などの不当性を批判するときは「国際法違反」と言い、日本が行った大東亜戦争を正当化し、辯護する際には、あくまで当時の国際法だけを論据とする。